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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)4169号 判決

原告

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

倉田哲治

森谷和馬

添田修子

被告

全国電気通信労働組合

右代表者中央執行委員長

園木久治

右訴訟代理人弁護士

杉本昌純

北村哲男

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一請求の趣旨

1  原告が被告に対し労働契約上の地位を有することを確認する。

2  被告は、原告に対し金三〇四二万〇八〇四円及び昭和五九年四月一日以降毎月二〇日限り金一八万三六四二円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行宣言

二請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二事案の概要

一被告は、電気通信産業労働者で構成され、その構成員の労働条件の維持、改善等の実現を目的とする法人たる労働組合で、中央本部のもとに一一の地方本部を有する。原告は、昭和四四年九月に被告との間に労働契約を締結し、被告の東京地方本部の支部の一つである東京港支部(以下「港支部」という。)の書記として、港支部における共済、会計等の職務に従事してきた者である(争いのない事実、証拠略)。

二原告は、港支部で就労を開始したころ健康状態が悪いという自覚症状はなく、同四四年一〇月ころ被告が実施した健康診断を受けた際にも特に異常は指摘されなかった。ところが、同四六年春ころから、頸、腕、肩等の痛みが持続するようになり、医療法人社団港勤労者医療協会芝病院の石川医師の診察を受けたところ、同年六月三日、頸肩腕症候群で週二回二か月間の通院加療を要すると診断されたが、約二〜三か月間通院した結果、症状が軽減し、通院を中止した(〈証拠略〉)。

その後、原告は、昭和四八年一〇月ころになって、頸、背中、腰等の痛みや手のしびれやふるえの症状が現れたため、医療法人石心会川崎幸病院に月一、二回程度通院するようになり、同病院の今井医師に同四九年四月一日、頸腕症候群、腰痛症で週二回の通院加療を要するとの診断を受けた(〈証拠略〉)。

そこで原告は、イスクラ診療所の滋賀医師の治療を受け、同年四月二二日から同月二七日まで病気休暇を取得し(二八日及び二九日は休日)、同月三〇日及び同年五月二日は出勤したが(同月一日はメーデー、同月三日から六日までは休日)、同月七日及び八日にそれぞれ半日の病気休暇を取得し、同月九日から同年八月六日まで継続して病気休暇を取得した。そして、同年八月七日から同五〇年二月六日までは午前一〇時から午後三時まで、同月一〇日から同年八月二日までは午前九時から午後四時までの軽減勤務(当時の通常の勤務時間は午前九時から午後五時四〇分まで)を行ったが、右症状が悪化したため同月四日から同月一五日まで病気休暇を取得した後(同月三日、一六日及び一七日は休日)、同月一八日以降継続して病気休暇を取得した(争いのない事実、〈証拠略〉)。

三被告の役員、書記の服務に関する規程(以下「服務規程」という。)及び書記局運営細則(以下「細則」という。)によると、病気休暇の期間は、業務上の疾病による場合は「療養に必要な期間」とされ、業務外の疾病による場合は「一年間を限度として療養に必要な期間」とされていた(服務規程二〇条、細則七(三)1(1))。そして、右病気休暇の期間が経過してもその故障が消滅しないときは、病気休職となるとされていた(服務規程二三条一項)ところ、原告が頸腕症により昭和五〇年八月一八日から翌五一年八月一七日まで引続き一年間病気休暇を取得したので、原告の頸腕症は業務上の疾病ではないとしていた被告は、同月一八日付けで原告を病気休職扱いとし、細則十四3に従って基本給を一年間減額した後、満一年経過後無給とした(争いのない事実、〈証拠略〉)。

四原告は、前記症状が軽減し、昭和五〇年八月ころから治療を受けていた土肥医師の勧めもあったため、同五二年春ころから職場復帰を考えるようになり、通勤訓練の意味で週二、三回港支部に通った後、同年五月下旬ころから週二、三回事実上出勤して軽作業をするようになった〈証拠略〉。

休職期間中の復職について細則十四5は、「休職事由が消滅した場合は復職させる」としていたが、原告は、同年八月五日、「勤務可能であるが、作業時間及び内容の軽減を要し、症状増悪の場合は療養を要する」旨の診断書を提出して復職を申し出たところ、被告がこれを受け入れなかったため、その後被告との間で復職に関する話合いが続けられた。この話合いは、原告の治癒の程度、それをいかに認定するかに関して双方の意見が対立し、結局原告の復職は被告が受け入れることができないという結果に終わった(争いのない事実、〈証拠略〉)。

五服務規程四〇条一項三号によれば、病気休職が満了した場合に、支部執行委員会が発議して中央執行委員会が妥当と判断したときには、書記はその意に反して解雇されることがあるとされていたが、被告は、昭和五四年八月一八日の経過により三年間の休職期間(細則十四2)が満了するとして、同年七月一三日原告に対して解雇予告通知をし、同年八月二七日原告を同月一九日付けで解雇する旨の意思表示をした(争いのない事実、〈証拠略〉)。

六以上のような事実関係の下で、原告は、次のとおり主張し、請求する。

原告の頸腕症は、被告の業務に起因するものであるから、療養期間に限定がなく、病気休職への移行及び休職期間の満了による解雇もあり得ない。また仮に原告の疾病が業務に起因するものでないとしても、原告の復職申出等により解雇は無効である。したがって、原告は、被告の職員としての地位を有するから、その確認を求めるとともに、原告が復職を申し出た後である昭和五二年九月一日以降の別紙賃金等明細表記載の未払賃金等合計二〇四二万〇八〇四円及び昭和五九年四月一日以降賃金として毎月二〇日限り一八万三六四二円の支払を求める。

さらに、原告が業務上の疾病に罹患したのは、被告が労働契約に基づく安全配慮義務、あるいは、不法行為上の注意義務を怠ったためであるから、原告の損害である慰藉料五〇〇万円、医療費二〇〇万円、弁護士費用三〇〇万円を賠償する責任がある。そこで原告は、被告に対し、右損害一〇〇〇万円の支払を求める。

七これに対して、被告は、原告の頸腕症の業務起因性及び被告の責任を否定し、原告の復職申出を拒否したことには正当な理由があると主張している。

第三争点とこれに関する当事者双方の主張

本件において原告は、契約上の地位確認請求、賃金請求及び損害賠償請求の三つの請求をしているが、これらの請求に共通する最大の争点は、原告の頸腕症が業務に起因して発症したものといえるかどうかであり、業務起因性が認められれば、原告に対する休職処分は被告の服務規程上その効力を有しないこととなり、解雇が無効となるばかりでなく、賃金請求権も認められ、被告の安全配慮義務違反ないし不法行為上の責任も問題となる。次に、業務起因性が認められない場合であっても、なお被告の損害賠償の責任を問えるか、また、休職後の復職申出により、労務の提供による賃金請求権が発生したか、解雇の効力が否定されるか、を検討する必要があり、これらも本件の争点である。

これら三つの争点に関する当事者双方の主張は、次のとおりである。

(原告の頸腕症の業務起因性について)

一原告の主張

1 港支部において原告が従事していた業務の実態

(一) 原告の担当業務―その一(昭和四四年九月から同四六年四月まで)

原告は、昭和四四年九月から同四六年四月までは共済業務、輸血センター業務、総務及び調査交渉補助業務を担当したが、各業務内容は次のとおりである。

(1) 共済業務

ア 新規加入手続

分会より提出された共済加入申込書をチェックして全電通共済組合員原票を作成しバイデキス(原票保管箱)に収める。右加入申込書は労働組合、輸血センター加入申込を兼ねているため、それぞれの綴に保管し、本部用を共済本部へ郵送する。

イ 異動手続

異動通知書により、組合員の転勤あるいは共済契約の変更等を処理する。港支部内の異動は異動通知書により原票を訂正のうえ異動先分会へ整理し直し、異動通知書は港支部用のものを保存し、他は転出先分会及び共済本部へ送付する。他支部への転出の場合は、右に加え支部間異動通知書を作成し、原票、転出先分会用とともに転出先支部へ送付する。他支部からの転入の場合は、原票を点検し訂正記入してバイデキスに収め、分会用を分会に送付する。

その他住所、加入口数、親指定、氏名、休職、復職等の変更事由が生じた場合、異動通知書によって原票を訂正して港支部用を保管し、他を共済本部へ送付する。

ウ 共済金請求手続

出産、死亡、結婚、離婚、入学、卒業、傷病、災害、脱退等の請求事由の発生により共済金請求書と原票を照合して支払内容を確認のうえ請求書に金額を記入し、共済金請求受付帳に記帳し、請求番号を付して原票に記録する。請求書は一部を保管し、中央労災及び共済本部へそれぞれ郵送する。

エ 共済金支払手続

共済金の入金連絡を労働金庫から受けると、受付簿と照合して内容を確認し、該当分会へ振り込むか現金引出しを依頼する。受付簿に記入して分会へ内容を連絡し、現金の場合は共済金袋に入れて渡し、受付簿に領収印を受ける。

オ 加入促進運動

毎年一〇月から一一月は任意共済加入促進月間として本部から割り当てられた口数を分会ごとに割り当て、表を作成して増口の宣伝を行う。その結果出された申込をイ記載のように処理する。

カ 事務費還元金の配分等

毎月共済本部から加入口数に応じて事務費還元金が送金され、これを右加入促進運動の目標達成率に応じて各分会へ配分、送金したり、事務費として送金したりする。昭和四七年の夏期から右還元金をもとに新宿支部と共同で海の家が開設され、その事務も書記の仕事となった。

キ 共済掛金の徴収

毎月徴収される掛金について組合費控除通知書の共済掛金の欄をチェックして入金額と照合し、分会別掛金一覧表に記入、集計し、コピーをとって共済本部へ郵送する。間違いがあれば訂正手続(追徴、返納)をとる。また、これとは別に年払者の掛金徴収があり、それぞれ集計し共済本部へ送金、報告する。

非組合員の共済掛金は年払いで徴収し、年払者一覧表を作成して一部を保管し、一部を共済本部へ郵送し、銀行送金する。

ク 加入引受証

毎年一回共済本部から加入引受証が送られてくるので、これを分会に配付して各人の加入口数を確認してもらい、間違っている場合は通知書による訂正作業を行い、掛金の追徴又は返納をする。

ケ 交通災害共済

年二回(六月と一二月)募集し、申込の受付を行う。申込書を分会ごとに配付し、提出された申込書を分会別に集計する。これ以外の月の申込は月契約の取扱いを行う。掛金徴収は分会毎に申込口数と金額を照合し、一致すれば申込書の港支部用を保管し、本部用を掛金とともに共済本部へ郵送する。交通災害共済金の請求、支払手続は前記ウ、エと同様である。

コ 共済の会計処理

共済金支払等の金銭取引を振替伝票に記入し日計表を作成する。さらに、帳簿に記帳し月毎に合計残高試算表を作成する。振替伝票は日計表に添付し日計表綴に綴る。共済金の取引の際は、労働金庫に電話を入れて共済金の引出し、振込の依頼や預金残高の確認を行う。また、毎月末と会計監査時には銀行から残高証明書をとる。毎年分会別銀行口座一覧表を作成してコピーを労働金庫に渡す。共済の経費の支出に当たっては支出請求書を作成し、これを証拠書類綴に綴る。年度切替え時に新帳簿を作成し、各分会へ送付する。

サ その他

毎月、分会別共済加入率表を作成し、分会と書記局全員に配付する。

港支部大会、支部委員会経過報告書のための資料を作成する。

活動者会議用の共済の部分の資料作成をし、分科会において分会担当者へ事務処理の説明をする。

共済本部主催の担当者会議に出席し、業務内容の説明を受ける。

分会共済担当者会議を開催し、事務説明を行う。

共済関係文書の授受、作成、保管と分会への配付、共済本部あるいは他支部との電話連絡をする。

分会への支部会計監査の前に会計担当と共に事務処理の点検に行く。

会計監査のための書類を整備し、会計と同様、会計監査を受ける。

(2) 輸血センター業務

日本赤十字社と提携して組合員からの採血を行う業務である。

連絡文書の授受、作成、分会への配付、被告の地方本部(以下「地本」という。)への連絡をする。

移動採血の場合は、事前準備として分会に人員把握、名簿作成、場所設定等を依頼し、採血者用のハガキとカードにゴム印を押す。採血当日は一日かかりきりで立会い補助をする。原告は右立会いの際、供血者が起きるのを手伝い、日赤、分会役員の昼食の手配、採血者への牛乳の配付、経費の支払等を行った。事後に採血者人数報告書を作成し、費用を地本に請求する。また、採血記録を共済原票に記入する。

分会からの供血の依頼を受けると供血受理票に記入し、地本へ連絡してその返事を分会に連絡する。献血手帳が必要な場合は地本へ依頼し用意する。事後に供血完了報告書を分会から受け、地本へ郵送する。

新鮮血が必要な場合には、同一血液型の人員の手配をする。血液が必要な人が支部関係者で他の地方に在住している場合には地本に連絡し、関係支部に手配を依頼する。また、他支部から支部への依頼を受ける。支部組合員が採血に応じた場合には交通費を地本に請求し送金を受けて支払う。

(3) 総務

日に二回使送便があり、文書棚の書類等を整理して五階の使送便の各局の棚に運び、港支部宛のものを取りに行く。

港支部に頻繁かつ多量に届く文書、印刷物等につき、一部ずつ受付印を押し、区分け保存する。正式文書は、文書番号を取り受付文書簿に記入する。全電通週報等定期刊行物や雑誌類は整理保管する。

出勤簿処理、年休付与簿記入、特別休暇届書その他人事関係書類の処理を行う。庶務として物品管理その他諸々の業務が、共済会関係の事務として関係文書類の保管業務がある。

(4) 調査交渉補助業務

調査交渉に関する事務の補助として電話連絡、連絡文書の発送、団体交渉記録書の目次作成(経過報告書用)等を行う。

(二) 原告の担当業務―その二(昭和四六年四月から同四九年四月まで)

原告は、昭和四六年四月から同四九年四月までは会計業務及び退職者の会の事務を担当したが、その内容は次のとおりである。

(1) 会計業務

会計には支部会計と上部会計とがあり、支部会計には一般会計と特別会計(闘争積立基金、闘争資金、闘争費、政治闘争基金)が上部会計には本部交付金(賃金、通勤費、執行活動費、活動補助費、犠牲者扶助費、その他交付金)と地本交付金(執行活動費、活動補助費、地区労加盟費、動員費、輸血センター、ストライキ、選挙費用、その他交付金)があるが、会計業務の概略は次のとおりである。

ア 出納業務

支部予算に基づき証拠書類を作成あるいは点検し、金銭出納業務を行う。対象は書記局、分会、上部、外部業者及び銀行等であり、最も一般的に使用する用紙は支出請求書である。

旅費、日当支払業務―会議や集会等の参加者に交通費と日当を旅費請求書、旅費支給内訳書に基づき支払う。会議旅費は、当日その場で支払うことが多いが、それ以外は後日数件まとめて、分会毎に集計して送金通知書を作成し、銀行振込及び現金で支払う。

組合休暇補填金支払業務―組合活動のため欠勤した場合、その賃金カット分を組合が補填する。この場合、分会から組合休暇請求書届書が送付され、公社から組合休暇減額証明書が送付されるので両者を照合し、分会毎にまとめて送金通知書を作成し、銀行振込又は現金で支払う。書類が届いていない分会については、分会及び公社の双方に組合休暇取得の有無の確認の電話をし、書類がある場合には提出を促す。月末に組合休暇の取得内容別に地本、支部、分会と分けて集計し、それぞれの科目に振り替える。なお、地本分は三か月毎に集計する。

組合費徴収業務―組合費は、被告と公社との間のチェックオフ協定に基づき毎月二〇日以降に公社から支部の預金口座に振り込まれる。分会から月別組合費個人別控除通知書に基づいて作成、送付される組合費控除通知書をチェックし、入金額と照合し、違いがあれば分会へ問い合わせて訂正作業を行う。書記局及び全分会の組合費を分会別組合費納入内訳書に記入、集計のうえ、本部費、地本費、共済掛金はそれぞれ分けて銀行送金し、支部費は振り替える。これらの作業を月末までに行う。毎月徴収する組合費のほかに、臨時徴収費及び政治闘争資金の徴収がある。

賃金、通勤費支払業務―本部から送付される賃金支払明細書表及び通勤費送金通知書に基づき賃金個人別徴収表を作成し、支部の専従役員と書記に毎月二〇日に支払う。

執行活動費等支払業務―毎月、本部及び地本から送金されるので、双方をまとめて分会執行活動費等送金調書を作成し、賃金支払と同時に各分会と書記局の非専従役員に支払う。この受取の役員手当受領書の用紙を三か月毎に送ってもらい、支部で保管する。地本分については三か月毎に活動費等精算内訳報告書を作成し、地本へ送付する。役員に変更があった場合は報告書を作成し、年度末には本部、地本とも精算報告をし、残金を返納する。

地区労加盟費を毎月地本から送金を受け、世田谷、渋谷、港の各地区労へ支払う。

分会から各種のカンパ金が集約されたら、分会毎の金額をカンパ集計表にしてまとめ、地本へ送金し内容を電話連絡する。

過去の闘争で公社から処分を受け賃金上の差がある組合員に差額を支払う。通常の支払は三か月毎の賃金上の差額、一時金支払時の差額、賃上げ精算により生じた差額等について分会別に集計して支払う。ストライキ参加者の賃金カット分を翌月の賃金支払日までに届くよう支払う。分会担当者、総務部長と原告とで封筒づめ作業等を行う。

銀行関係の振込は、電話で行うか振込依頼書を作成し窓口に持って行く。現金引出しの場合は、賃金等はだいたい持ってきてもらうが、小口の場合は銀行に金種を連絡のうえ窓口に取りに行く。銀行用紙は、普通預金払戻請求書、普通預金入金票、振込依頼書等を使用する。通帳類は、普通預金通帳(六〜七通)、定期預金証書、通知預金通帳、家庭共済支払証書綴、労金貸付金返済証書、有価証券等があり、他に個人の通帳も預かる。銀行は通常二行を利用しており、退職者の会はさらに別銀行を利用し、必要によりそれ以外の銀行、郵便局も利用する。年度の初めには分会の銀行口座一覧表(総務用、分会用)を作成し、コピーをとって一部を銀行に渡す。電話で振込を依頼するときのために払戻請求書(一度に二〇〇枚くらい)に支部のゴム印と会計の印を押し、銀行に渡しておく。毎年銀行から振込帳をもらい、共済担当に手伝ってもらって必要事項を記入のうえ、各分会へ送り、組合費振込用として公社の給与担当に渡してもらうよう依頼する。

イ 伝票の作成

証拠書類に基づき、すべての金銭の動きについて入金伝票(現金受入)、出金伝票(現金支出)及び振替伝票(現金取引を伴わない場合)を作成し、科目を決定する。

ウ 日計表の作成

一日の最終に右イの伝票をすべて集計して日計表を鉛筆書きで仮に作成し、日計表の現金残高と実際の現金手持有高を便宜的に両替表を使って照合する。翌日銀行に預金残高を問い合わせ、日計表の預金残高及び上部交付金帳簿の預金残高と照合する。右照合に二、三日を要することもある。照合の結果が一致した段階で日計表に正式に記入し、伝票に月単位の一連番号をナンバーリングで打って日計表に添付し、証拠書をホッチキスで止めたうえ、これらを総務部長及び副委員長へ提出する。日計表及び証拠書はそれぞれ日計表綴、証拠書類綴に綴り、組合費、組合休暇その他の証拠書類はそれぞれの綴に綴る。

エ 記帳業務

伝票から金銭出納帳、銀行勘定帳及び経理明細簿に、日計表から元帳(総勘定元帳)にそれぞれ記帳する。通常月初めに一か月分まとめて記帳するが、会計監査の時は前日までの分を記帳する。上部交付金関係は、上部交付金帳簿にその都度記帳する。

オ 決算業務

月毎に元帳から試算表を作成する。経費明細簿から一般会計現計書を作成し、右試算表と照合する。

月末の普通預金残高証明(四通)を取得し、帳簿残高と照合する。

四半期毎に決算報告書(貸借対照表、収支計算書、予備費、預り金、仮払金、借受金等の内訳書)を作成する。

カ 会計監査

四半期毎に決算報告書及び各種証拠の支部監査を受ける際、事務処理上の注意や質問を受け、事後に会計監査報告書が直近の議決機関にかけられる。このほか、不定期に地本あるいは本部の監査を受ける。

キ 予算案作成業務

支部大会に提案する支部予算案を総務部長と共に準備し、執行委員会の承認を得たうえ議案書として印刷に回し、校正を行う。

ク その他

新年度毎に帳簿類、諸用紙、諸文書綴を作り替える。支部大会終了後組合費の決定通知文書(分会宛と公社宛の二通)を作成、発送する。

経過報告書に載せるための総務(会計)関係の原稿を用意する。

活動者会議資料の一部として会計資料を作成する。旅費、宿泊費等を計算し、封筒につめて用意する。総務、共済の分科会に出席し、分会担当者に業務処理の説明をする。受付、接待、旅費支払等をする。事後に諸経費の精算をする。

本部主催のブロック別財政総務担当者会議(二泊三日)に出席し、業務指導を受ける。

原告が会計担当として取り扱った文書類は、内容により総務会計発信文書綴、総務会計受付文書綴、地本交付金綴、地本送金通知書綴、犠牲者扶助関係文書綴等にそれぞれ区分して綴る。各分会宛の連絡文書を作成し、コピーをとって送付する。

伝票と帳簿類は本部から送付されるが、それ以外の用紙は港支部で印刷して作ったり、外注に出したりする。

分会への支部会計検査の前に事務処理の点検に行く。

(2) 退職者の会の事務

港支部では昭和四八年九月に退職者の会が発足し、原告はそのころから会員への連絡、会費の徴収、帳簿付け等の事務を行った。

(三) 原告の担当業務―その三(港支部での稼働期間を通じて)

原告は、港支部での稼働期間を通じて、他の職員とともに以下の業務にも従事した。

電話応対等―港支部にかかってくる電話の応対をするのは主として原告ら三名の女性書記の仕事であった。組合員や来客との直接の応対もあった。会議、闘争、選挙等の際には右応対は大幅に増加した。

闘争連絡等の授受―闘争連絡、電話連絡、電話情報等の内容を、電話を聞きながら逐一間違いのないように書き取る。分量が多いときは、テープに録音のうえこれを反訳する。右作業は主として女性書記が行っていた。

順送―港支部から所轄の三分会に対し電話で闘争関係の指示や会議、動員の連絡事項を伝達する。すべての分会に対して行う口頭順送もある。

印刷、コピー作業―会議その他の資料、闘争連絡等、速報、連絡文書その他の文書を役員の指示によりコピーまたは印刷し、必要により折りたたんだりホッチキス止めにする。

印刷物の外注と校正―支部大会経過報告書、支部委員会経過報告書、支部大会議案書、機関紙、大会決定集、役員名簿、会計諸用紙、その他種々の印刷物を外注に出し、その校正を行う。

発送―受信文書や印刷物のうち、分会宛のものは、数を数えて封筒づめや小包にし、各分会へ直接配達したり使送便(公社の私設交換便)に乗せ、外部宛の文書は投函する。支部発信文書は、一部を控えとして保存箱に入れた後、発信文書綴に綴る。正式文書は文書番号を取り、発信文書簿に記入する。右通常の作業のほかに年賀状や旗開きその他支部行事への案内状の宛名書きや発送作業がある。

諸会議等―各種の会議の資料作り、電話連絡、取次、会場の予約と設定、お茶出し、後片付け等をする。組合会議で使用する資料の作成の補助業務(役員の書いた原稿を正式の文書に作成する。)も書記が行う。港労働学校や青婦学習会など、ほとんど夜間に行われるものもあった。

動員―各種集会への動員要請、参加、参加者名簿の把握、旗・マイク・ゼッケン等の用意をし、後日、地本への動員費の請求をする。原告は夜間、休日の動員にはほとんど参加していた。

選挙管理業務―全国大会、地方大会、中央委員会、地方委員会の代議員選挙は同時に行われ、選挙管理委員が選挙管理事務を行う建前だが、実際には書記が議案書の配布、選挙の公示、立候補者受付、広報の作成と配布、投票用紙の作成、選挙管理委員会の押印(一種類二三〇〇枚の投票用紙四種類への捺印作業が必要であった。)、配布、投票箱の保管、開票、結果の告示等実質的に選挙管理業務の代行をする。選挙管理業務の担当書記が定められてはいたが、担当者だけでは人手が足りず原告ら他の書記も手伝った。開票日は選挙管理委員会への食事の手配、お茶の接待、旅費、日当の支払等も行う。

支部大会―支部大会は年一回、二日の日程で、百数十名が参加して開催される。事前に、予算案、議案書、経過報告書、代議員名簿その他の資料作成、案内状の発送、会場の設定、参加者へ支払う旅費の準備をする。当日は会場整理、受付、お茶の接待等に従事する。会計担当は、大会において会計監査報告があるため経理簿を持参し、また、出席者に旅費、日当を支払う。大会場の後片付けの後、さらに別会場での交流会にも出席する。大会の翌日に大会諸経費の精算をする。大会終了後、大会決定集及びあいさつ状を作成のうえ発送し、全分会大会終了後に役員名簿を作成し、発送する。

支部委員会―支部委員会は年三〜四回、一〜二日の日程で、約八〇名が参加して支部大会に準じ開催され、その準備を行う。

行事等―活動者会議、組織強化会議がいずれも二泊三日の日程で百数十名が参加して開催されるが、事前に資料作成、旅費・宿泊費等の準備をし、特に活動者会議の場合、共済、会計共それぞれの担当ごとの資料作成、全部門にわたる印刷作業がある。会議当日は受付、お茶接待、旅費支払い等に従事する。その他、新入組合員労働講座、一般労働講座、青年合宿訓練、通信教育スクーリング、旗開き、成人式、メーデー、文化祭、スポーツ大会、ボーリング大会、平和友好祭、スキー祭典等の行事に伴う仕事がある。

闘争等―春闘、秋年末闘争その他個別闘争の闘争期間中は、頻繁な闘争連絡、ビラ印刷、ワッペン配布、ステッカー貼り、職場集会等がある。

ストライキ―年に何回かのストライキが配置されるのに伴い、職場オルグや情宣活動が活発になり、緊迫した事態のため普段より連絡事項も多くなる。ストライキ批准のための投票用紙を間違いのないように入念に枚数を数えて分会に配布し、その投票結果は支部に集約される。支部内分会がストライキ拠点になった場合、書記は連絡役等として奔走し、拠点分会を激励するため檄布を用意したり、昼休みを利用してリボンフラワーを作ったりする。他支部の拠点分会へは激励電報を打つ。このため夜遅くまでの残業、早出、泊まり込み等があり、布団の用意・片付け、炊き出し、飲食後の片付け等書記局内の雑務も処理する。ストライキ当日は参加者数を確認し、ストライキに入らない分会へ情報(ビラ作成、順送等)を流し、カンパ活動を行って金銭を集約し、諸経費を支払う。

外部選挙の応援―国政選挙や地方選挙において被告が組織的にある候補者を応援する場合の業務であり、ビラまきの準備(ビラを分会別に配布、地図のコピー、分会への連絡等)、親書書き、宛名書き、他労組他支部からの組合員名簿の借り出し及び返還、紹介者カードの作成、電話戦術、選挙事務所派遣、選挙関係費用の受払い等をする。

物品販売―港支部では、合成洗剤追放運動等の一環として粉石けん等の販売を行っていた。年末には常任委員会の取組として荒巻サケや数の子の予約販売を行う際、これを手伝い金を預かる。このほか選挙資金用バッヂの販売等がある。

物品管理―書記局の文房具、薬品、お茶等の消耗品の在庫調べと補充を行う。

お茶くみ等―来客時や会議時の日常的な書記局内のお茶くみと片付け、灰皿・新聞等の片付け、書記局内で役員等が飲食した際の後片付けは女性書記の仕事とされていた。また、原告は、役員の意のまま公私に関係なく多種多様の仕事を命ぜられた。

(四) 原告の従事した業務の問題点、

(1) 共済業務

共済業務の処理に当たってはボールペンを使用したが、複写により手指に力を入れることが多く、特に原告はもともと力を入れて字を書く方であったため、上肢全体に余計に負担がかかった。バイデキスにはたくさんの引出しの中に個人原票が整理して保管してあり、原告は日に何度もバイデキスを出し入れしたが、上の方の引き出しを開け閉めする際には必然的に両腕を上に挙げての作業となり腕に負担となった。バイデキスの出し入れは共済のみでなく、輸血、成人式、選挙などの業務の際にも行った。

共済業務は、本人も分会担当者も記入すべき書類や事務処理を知らないことが多いので、支部の共済担当者が負担する業務量が多い。原告は雇用されたばかりで、組合の業務そのものがよくわからないにもかかわらず分会を指導しなければならない立場におかれたうえ、分会担当者のほとんど全員が毎年新しく変わるため物理的、精神的負担が大であった。個々の請求書等は分会を通じて支部担当者に送付されるため、書類の不明、不備の点についての問い合わせ等の連絡が円滑にいかず書類処理に時間がかかった。また、早急に処理しなければならず、かつ、金銭にかかわる問題であり、プライバシーに関する事項もあったため神経を使った。

(2) 輸血センター業務

一日中立ちづめの作業で、人の生命にかかわることなので早急に処理せねばならず緊張する。立合いの際、供血者が起きるのを手伝い、腕に負担となった。また、献血手帳の問題で病院と紛議が生じることがあったり、供血完了報告書が提出されなかったり、事前に把握していた採血予定者が当日来られなかったり、あるいは採血後気分が悪くなる人が出る等神経を使う業務であった。

(3) 会計業務

原告自身に会計業務の経験がなかったうえ、担当者が替わって業務内容がわからない者ばかりになってしまったため、原告の業務負担が大きくなった。

共済と同様、分会への問い合わせ等がうまくつかずに手間取ることが多く、総務部長と書記長(前総務部長)との指示が異なったり、必要事項の連絡がなかったりして事務処理に困った。

事前に連絡なく急に金員の支出を要求されることがしばしばあり、手持ちがなければすぐ銀行に走って行き、帰り近くになって言われた場合には、いったん閉めた金庫を開けなければならなかった。

計算の途中であろうが、金を数えている時であろうがおかまいなく他の仕事が命ぜられるので、そのたびに業務は中断され作業が重複することが著しく、電話による業務の中断も多かった。期限に追われているので精神的にも焦らされた。

話声や人の出入り、電話がひっきりなしに鳴るなど騒がしい中で、細かい金銭を扱う仕事に従事せねばならないため、なかなか集中できずに神経をすり減らした。

業務は時間内に処理するよう努力していたが、どうしても時間内に終わらず、やむなく残業をしたり、自宅に持ち帰り処理することもあった。

(4) その他

原告の行っていた作業は、主として椅子(時にはソファ)に座って行う事務作業であり、場合によっては印刷やコピー等立ったままで作業を行うこともあった。また、目を酷使する作業も多かった。

電話の応答では、体は動かさずに左手で受話器を、右手に筆記具を持ち、神経を集中させて筆記をする必要があった。運搬では必然的に上肢に負担がかかり、青焼のコピー作業は立ち放しのまま、腕を宙に浮かせて作業を行うが、その際、原稿と感光紙がずれないように、また、原稿が機械に巻き込まれないように注意していなければならなかった。さらに、原告はほとんど休憩なしで体を前かがみにして両腕を動かしていたし、時には重い書類を持つこともあった。

割り当てられた業務の種類が多いために同時にいくつかの仕事を扱わざるを得ず、ミスが許されないとの緊張も負担を増大させた。

(五) 原告の業務量

公社は昭和四三年から四七年にかけて大規模な合理化を推進したが、被告は、右合理化に反対する様々な闘争に組織を挙げて取り組み、役員の企業離籍、分会体制の確立、青年婦人常任委員会制度の設置、組合員に対する教育活動、財政プール制の拡大等を実施した。これにより被告の業務量が全体として増加した結果、書記の業務量が増大するとともに書記への業務の集中化が行われ、港支部では書記の人員不足が生じたが、増員は実現されず、原告は、過重な労働を強いられた。

港支部の書記は、昼の休憩時間に二名ずつ交代で休むこととされ、昼休み中であっても事務室内にいれば電話に出たり組合員への応対をしなければならず、食堂で食事中でも呼び出されることがあった。年次有給休暇や生理休暇の取得についても役員から叱責されることが多いため申請をためらわねばならず、時間外労働もしばしばあったにもかかわらず、被告の方針で出勤簿にはその旨の記載をしないことが多かった。

2 港支部の職場環境

(一) 換気

港支部書記局の部屋は、コンクリート造りの建物の地下一階に置かれており、四面ある窓のうち二面が開閉可能であるにすぎず、それも地上の車の排気ガスを避けるためほとんど開けられなかった。事務室内は喫煙者が多く空気の汚れがひどいにもかかわらず充分な換気装置が設けられていなかった。印刷及び倉庫に用いられていた地下二階の部屋には窓もなくファックス(謄写印刷用の原紙を作るための器械)使用時の悪臭がひどかった。

(二) 冷房

夏期は事務室の隣の食堂にあった冷房のため地下一階全体が冷えていたうえ、事務室内でも三台の冷房機が稼働していたため、室温は常に二二〜二三度前後と冷房が過剰の状態であった。特に原告の席の後方三〇〜四〇センチのところに設置された冷房機の冷気が常に原告の背中や腰に吹きつけていたので、原告は港支部役員に対し冷房を止めるか席を替えるかいずれかの措置を取るよう頼んだが、取り上げられなかった。原告の一存で冷房機の強弱を切り替えることができるような雰囲気ではなく、昭和五〇年夏に多少冷房を弱めたが、室温は二四度前後になったにすぎなかった。

(三) 暖房

冬期は事務室の天井に設けられた吹出し口から暖気が出ていたが、コンクリートの上に化粧板を貼っただけの床は冷たく、原告の手足は温まらなかった。補助暖房として電気ストーブや小型ガスストーブを入れたが、原告まで暖気が届かず役に立たなかった。

(四) 採光・照明

地下室であるため窓からの自然の採光は元々不十分であったことに加え、窓にポスターを貼ったり窓の前に物を置いたりしたため、さらに採光が妨げられた。また、天井に埋め込み式の蛍光灯が設置されているだけで、机上の照明はなかった。

(五) 騒音等

書記局には常に人の出入りがあり話し声が絶えないうえ、時にはテレビの音も加わった。ほとんどひっきりなしにかかる外部からの電話で七〜八台の電話機の呼び出し音が一斉に大きく鳴り響いた。事務作業においては騒音が六〇ホーンを超えると支障が出るといわれているが、一台の電話の呼び出し音だけでも七〇ホーンを超える。さらに、日中は天井の換気扇が常に回っており、その音も騒音となっていた。

なお、休憩室が設けられていなかったので、休憩時間には室内のソファで休むほかなかったが、人の出入りが激しいため休憩には適さなかった。

3 原告の頸腕症の業務起因性

原告の頸腕症が被告における業務に起因することは、次の事実から明らかである。

(一) 原告は、被告に雇用された昭和四四年九月当時、どこにも体の不調はなく、同年一〇月に受けた健康診断においても特別な指摘を受けたことはなかったにもかかわらず、港支部書記として勤務するようになって約一年半で頸腕症の症状が現れ始めた。

原告は、港支部において前記1の(一)ないし(三)に記載する業務に従事していたが、右業務には前記1の(四)に記載する問題点があり、業務量も前記1の(五)に記載するとおり過重であった。そして、原告の頸腕症は、次のとおり被告の業務が特に多忙な時期に発生し、再発している。

(1) 原告が、頸腕症の症状として手、首、肩の痛みが現れ始め、頸肩腕症候群と診断された昭和四六年春ころから六月ころにかけて、春闘、三〜四月の都知事選挙・統一地方選挙、六月の参議院選挙のため書記局の業務が増大していた。さらに、会計担当の工藤書記が突然退職したため原告が会計担当を命ぜられ、慣れない仕事に取り組まねばならなかったうえ、従前担当していた共済業務についても新たに担当となった山田書記が不慣れなため原告が手伝わねばならず、二重の負担となった。

(2) さらに、原告の頸腕症が再度悪化する直前である昭和四七年秋から同四八年一〇月に至るまでの原告の業務量は、次のとおり過重であった。

すなわち、被告は、同四七年の秋年末闘争と共に一一月から組織をあげて総選挙に取り組み、同四八年には春闘に加えて前年から続いていた合理化問題が山場を迎え、五月一九日第一回総合文化祭が開かれ、同月二五日に港支部の、六月五日に本部の会計監査が行われた。その後都議会議員選挙の組織的支援に伴う仕事や組合大会代議員選挙の選挙管理業務があり、六月一〜三日には組織強化会議が開催された。六月末の本部、七月末の港支部、地本のそれぞれの年度末決算期における会計監査や決算の際には原告が書類の整備や内容の説明を行わねばならず、事務量と緊張は相当のものであった。六月一五日のボーリング大会、七月一〇日のソフトボール大会、同月一四〜一五日の青年合宿訓練といった行事の準備作業と会計支払業務があり、同月一六日及び八月八日に港支部委員会、七月下旬に被告の全国大会、八月中旬に東京地本大会がそれぞれ開催された。夏期に開設される海の家についての問合わせや宿泊予約等もあった。同四八年度から会計年度が一か月後にずらされたので八月分の暫定予算を組み、八月の一か月分の決算を行い、港支部大会の準備作業として新年度の予算案を作成した。八月には組合費の変更作業や賃上げ精算分の支払及び組合費の臨時徴収作業も加わった。原告の症状はこのころ既にかなり悪化していたため、病気休暇や年次有給休暇を多く取得することを余儀なくされたが、右業務と並行して通常の会計業務も行っていたため、休み中にたまった業務を出勤日に行うという悪循環に陥った。

さらに、九月に会計年度が替わったことに伴う会計関係書類の更新作業に加えて、支部の年度替わり(九月一日から)に伴う業務が重なった。同月八日には港支部退職者の会が結成されて、その事務の一部を原告が処理した。九月には分会大会が順次開催され、同月末から一〇月初めにかけて四分会の解散大会と二分会の結成大会が行われた。九月二八日に暫定予算の会計監査が行われ、一〇月初めに活動者会議のための資料作りで残業が続き、右会議の後に決算報告書の印刷作業を行い、同月一一日には港支部委員会が開催された。

このように被告の行事が相次ぎ、これに伴う会計業務も増加したが、担当業務以外の仕事を優先させなければならなかったため、原告は、残業や自宅への仕事の持ち帰りをせねばならず、疲労が蓄積して体調が悪化した。

(二) 原告の作業環境は、前記2記載のとおり、換気の不良(煙草の煙)、騒音、冷房の効きすぎ、暖房の不足という悪条件下にあった。

(三) 被告の他の書記にも現実に頸腕症患者が発生している。

昭和四八年の全国書記代表者会議では東北地本管内に三人の書記の頸腕症患者がおり、それに対する明確な取扱いをしてほしいとの要請がされ、第三回書記代表者会議でも業務量の増加等とも関連して腕や手の痛みを訴える人が出てきているので本部で調査されたいとの要望が出されている。原告の知る限りでも、東京地本、関東地本、中央本部、共済生協本部で合わせて一〇人程度の書記の頸腕症患者が発生している。

港支部で原告と同様の業務に従事していた長尾千恵子書記が、頸腕症に罹患している。

(四) 医師の見解も業務起因性を肯定している。

すなわち、昭和五〇年八月ころから現在に至るまでの原告の主治医である土肥医師は、原告を初めて診察した際、諸検査を含む診察の結果まず症状面から「頸肩腕痛・腰痛」との診断をし、その後さらに総合的な判断を加えて原告を「頸肩腕症・腰痛症」と診断した。そして原告に対する診察及び作業形態・職場環境等に対する聴取の結果、原告の頸腕症の原因は被告における業務であると判断している。また、土肥医師より以前に原告を診察した滋賀医師も、初診時から原告の頸腕症を業務に起因するものと診断している。

二被告の認否

1 原告の主張1について

(一)のうち、(1)及び(2)の業務を原告が担当したことは概ね認め、(3)及び(4)の業務が原告の担当であったことは否認する。

(二)のうち、(1)の会計事務の内容は概ね認め、その余は争う。

(三)のうち、(電話応対等)については原告ら三名の女性書記が主として港支部にかかってくる電話の応対をしていたことは否認する。(闘争連絡等の授受)は闘争時だけの一時的なものにすぎず、聞き取り書きは比較的短い文章のものだけで長文のものはなかった。(順送)(印刷、コピー)(印刷物の外注と校正)(諸会議等)(選挙管理業務)(支部大会)(行事等)(ストライキ)(外部選挙の応援)及び(物品販売)は原告の担当業務ではなく、原告は手伝い程度に行ったにすぎない。(印刷物の外注と校正)のうち支部大会経過報告書・支部委員会経過報告書・支部大会議案書・大会決定集及び役員名簿は年一回、会計諸用紙は年一、二回、機関紙は月一回の業務であり、(行事等)のうち活動者会議の日程は一泊二日、新入組合員労働講座・一般労働講座・青年合宿訓練・旗開き・成人式・メーデー・文化祭は年一回の行事にすぎないものである。(動員)のうち、被告は夜間の動員やストライキのための泊り込みを原告に指示ないし義務付けたことはなく、これに参加することは業務と無関係である。(ストライキ)のうち、一般投票用紙の枚数二三〇〇枚程度のものを書記局全員で数えるものにすぎず、また被告がストライキのための泊まり込みを原告に指示したことはない。(お茶くみ等)が女性書記の仕事とされていたことは否認する。

2 同1の(四)及び(五)は争う。

3 同2は争う。

4 同3は争う。

三被告の主張

1 通達に基づく検討

頸腕症については、労働省労働基準局長通達「キーパンチャー」等上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」(昭和五〇年基発第五九号)が「指先でキーをたたく業務、その他上肢(上腕、前腕、手、指のほか肩甲帯も含む。)を過度に使用する業務に従事する労働者が次の(1)〜(3)に該当する症状を呈し、医学上療養が必要であると認められる場合には、労働基準法施行規則別表第一の二第三号4に該当する疾病として取り扱われたい」とし、右の症状のうちの(3)として「上肢の動的筋労作(例えば打鍵などのくり返し作業)または上肢の静的筋労作(例えば上肢の前・側方挙上位などの一定の姿勢を継続してとる作業をいうが、頸部を前屈位で保持することが必要とされる作業を含むものとする。)を主とする業務に相当期間継続して従事した労働者であって、その業務量が同種の他の労働者と比較して過重である場合または業務量に大きな波がある場合において、次のイ及びロに該当するような症状(いわゆる「頸肩腕症候群」)を呈し、それらが当該業務以外の原因によるものでないと認められ、かつ、当該業務の継続によりその症状が持続するか、または増悪の傾向を示すものであること。(以下省略。)」と定めている。

右通達は、頸腕症の定義、性格について見解の分かれている現時点において、医学的に解明されている範囲での集約という形で行政的にその定義を明確にしたものであるから、これを基準として原告の頸腕症と業務との因果関係を検討することが合理的である。

原告の共済及び会計に関する業務は、主として記帳、記録、資料作成等一般的な事務作業であるが、このほかコピー、印刷、お茶くみ、銀行への外出、会議等への出張などが相当部分を占め、一つの作業だけを長時間継続することはない。このような原告の職種はあらゆる作業が混在する混合職種であり、右通達にいうところの「動的筋労作」あるいは「静的筋労作」のいずれの労作を主とする作業ともいえない。特に原告の指摘するバイデキスの出し入れについては、上肢の挙上作業といっても、一日数回わずかの時間しか行わないのであるから、「持続的に上肢を一定の肢位に保持する作業」とはいえない。したがって、原告の業務態様は、右通達の定めるものとは異なるから、右通達を基準とすれば、原告の頸腕症と業務との因果関係を認めることはできない。

2 原告の業務内容及び業務量について

原告は、業務内容が上肢に負担のかかる作業であり、かつ、目を酷使する作業であった等と主張するが、上肢を使う作業は全体の作業の中のほんの一部であり、他にお茶をくんだり煙草を買いに行ったりすることはこのような作業形態に当たらないし、泊まりがけの出張や都内外への書類の届け等は交通機関に乗っている時間や歩いている時間が多く、むしろ頸腕症の原因とは最もかけ離れた作業形態である。また、目を酷使するというが、被告の文書類はすべて標準以上の大きさの文字で作られており細かい文字や数字の羅列もないし、解読の必要もないものである。

業務量については、原告は、原則的に一時間の昼休みをとっていたこと、残業はほとんど行っていないこと、記帳作業と机から離れて行う雑務とが混合しているところから作業配分上健康的にはむしろ適切であること、一日の業務量は他の書記と変わらないこと等からすると、他の職場における一般事務作業者と比べるとむしろ優遇されていたものといえる。

また、業務量の波については、会計処理のための残業のほか、組合業務の性質上やむを得ないストライキ、速報の印刷、会議等のための残業があったが、原告に関しては一か月に二回に満たない程度であった。

3 作業環境について

作業環境については、施設面では一般の職場環境のレベルを維持していたものであって原告の頸腕症の原因になったということはできない。

4 原告の他の疾患の存在

原告は、被告に就職した当時問題となるべき疾患がなかったと主張するが、原告は輸血業務を担当していた昭和四四、五年ころ「わたしは貧血症だから、献血できない。」と述べており、原告提出の診断書には頸腕症のほかに腰痛症、低血圧症、胃潰瘍瘢痕、貧血症、急性胃炎等の病名の記載がある。これらの既往症が原告の頸腕症の有力な原因となった可能性が否定できない。

5 他の頸腕症患者の存在の主張について

原告は被告の他の書記の中に頸腕症患者が発生していると主張するが、患者の存在及び原告との類似性は不明である。同じ職場の長尾書記が頸腕症に罹患したとの点についても、原告との類似性及び業務との因果関係は不明であるうえ、長尾書記は昭和五〇年の一時期休んだだけで全快したのに反し、原告は長期間休んで業務から完全に離れ治療に専念したはずなのに今もって全快しないのは、原告の頸腕症が業務との因果関係がなく、原告の病訴の中に他の病因や心理的要因があるためであるというべきである。

(被告の責任について)

一原告の主張

被告は、原告に対し、労働契約に基づき使用者として被用者たる原告の身体の安全及び健康に配慮してこれを守るべき義務を負うものであり、そうでなくとも、原告の身体の安全及び健康を害さないようにすべき注意義務を負うところ、前記のとおりこの義務を怠り、原告に過重な業務の実行を強いた結果、頸腕症に罹患させ、さらに、次のとおりこれを悪化させた。

1 昭和四六年春ころ原告の頸腕症が発症した後、原告は、港支部の永桶委員長に対し、原告が頸腕症である旨の同年六月三日付け診断書を提出して通院を願い出、週一度位の治療を二〜三か月続けた結果、一応痛みが軽減したが、業務多忙に加え、被告に通院への配慮がなかったため充分な治療を受けられないまま通院を中断してしまった。この時期において、原告の業務内容の軽減や担当業務の変更等の措置は行われなかった。

2 原告は、頸腕症が再発した後の昭和四九年四月二日、港支部書記長三橋嘉四郎に対し、頸腕症等の病名により週二回の通院加療を要するとの医師の診断書を提出して通院の許可を求めたが、三橋書記長が勤務時間内の通院を許さなかったので、原告はやむなく勤務時間後の夜間に通院し、充分な治療を受けられなかった。業務量の軽減がなされるどころか、多忙な時期で生理休暇も取れないまま超過勤務をするなどしたため頸腕症の症状は悪化した。

同月一七日通院の許可を得て病院へ行き、翌一八日に出勤して二二日に行われる会計監査に備え残業したところ、翌一九日再び体調が悪化し、昼ころ三橋書記長に通院のための早退を願い出たが拒絶された。このとき原告は、立っていられず机にうつ伏せになり夕方五時ころようやく早退が認められたが、自宅まで帰れずに迎えを頼んだ友人宅に連れていってもらい、夜に頭痛が激しくなったため病院で注射を打ってもらった。このように原告の頸腕症の症状が悪化していたにもかかわらず、原告に対し仕事の軽減等の措置は全くとられていなかった。

3 原告は、同月二二日にイスクラ診療所の滋賀秀俊医師の診療を受けて頸腕症と診断され、以後三か月余り休業した。原告は港支部に同医師の診断書を提出していたが、三橋書記長が電話で滋賀医師に対し診断書の内容に異を唱えたため、同医師はやむなく記載内容を詳しくした同年六月六日付け診断書を作成した。原告が港支部に右診断書(今後二か月の休養加療の継続を必要と認めるとの内容)を提出したところ、三橋書記長は原告に対し「病気休暇は三か月だけでそれ以上休んだら解雇する。」と述べた。原告がこのことを滋賀医師に相談して解雇されるよりは良いとの判断から、無理を承知で二分の一の軽減勤務を要する旨の診断書を作成してもらって午前一〇時から午後三時までの軽減勤務を開始した。

4 その後原告は、港支部に対し、同年一〇月七日付け及び一二月一三日付けの滋賀医師の診断書を提出したところ、三橋書記長から診断書を書き直してもらって来るように求められた。そこで、改めて同医師から同月一七日付けの診断書をもらって港支部に提出したところ、三橋書記長から「二分の一の軽減勤務はあと二か月で終わる。それで治らなければ解雇する。」と言われた。

原告は、三橋書記長に右のように言われたため、滋賀医師と相談の結果、無理を承知で三分の一減の軽減勤務及び週二回通院加療を要する旨の同五〇年二月四日付け診断書を書いてもらい、港支部に提出して三分の一減の軽減勤務を開始したが、実際の勤務時間は午前九時から午後四時までと三分の一減よりも長く、勤務時間内の通院は週一回しか認められなかった。こうして右勤務時間で就労したもののやはり原告の負担は大きかったため、原告は滋賀医師に対し再度二分の一の軽減勤務とする診断書を書いてくれるよう頼んだが、これを拒絶する港支部役員の意向が固く実現されなかった。同五〇年前半は、被告が三月二七日、四月一五日、一六日、五月七日、一〇日と頻繁にストライキをして緊迫した状態にあり、都知事選挙、区議会議員・区長選挙も行われた。四月の地方選挙の際は原告と執行委員一名が港支部で留守番役となり帰宅も五時ないし七時ころとなったため、原告の疲労は著しかった。

5 原告の同僚の長尾書記が頸腕症のため同年六月ころから軽減勤務となり、同年七月一〇日ころから休業したため、原告は今までの担当業務に加えて長尾書記が担当していた共済業務をやるよう命ぜられ、これを断ったが、聞き入れられなかった。これに伴い原告の席が事務室内の冷房機の前に移されたことから、原告は席の変更か冷房の不使用のいずれかを願い出たが受け入れられず、頸腕症がさらに悪化した。

6 原告は、同年八月二日仕事中に倒れて早退し、以後休業した。原告は同月五日滋賀医師の診断書を持って港支部に行ったところ、港支部の永桶委員長から同月三一日付けで解雇する旨申し渡され、さらに同月一五日に行われた港支部三役との話合いでも原告が辞表を出さなければ同月末で解雇すると言われたが、その後の話合いの結果、ようやく同月三〇日以降病気休暇の取扱いとなった。

二被告の認否

原告主張の事実は、すべて争う。

(復職申出及び解雇の効力について)

一原告の主張

1 原告の復職申出による復職

(一) 原告は、前記のとおり、勤務可能である旨の医師の診断を得たのであるから、細則にいう「休職事由が消滅した場合」に該当したところ、その旨の診断書を提出して復職を申し出た。したがって、右申出により復職したものである。

(二) 被告は、原告が被告の指定する医師の受診を拒否したから、病気休職事由の消滅が認定されていないというが、原告の受診拒否には、次のとおり正当な理由がある。

(1) 被告が受診を要求する酒井医師は、「電々公社における頸肩腕症候群に関する医学的究明について」と題する答申の作成に参加した者であるところ、右答申はその内容が非科学的であり頸腕症の業務起因性をあいまいにするものであるとして多くの非難を浴びた極めて問題の多いものであったから、頸腕症が業務に起因すると考えている原告が右答申に関与した酒井医師の診察を受けることは到底納得できなかった。

(2) 原告は昭和四九年六月二六日被告から突然港支部に呼び出されて医師の診察を受けさせられたが、その結果については後日原告に何の連絡も説明もなかった。かかる無責任な処置について納得の行く対応がされないまま新たに別個の診察を受けることには抵抗があった。

(3) 原告は受診の必要性と診察の内容について、被告及び酒井医師に対し何度も質問を繰り返したが、最後まで納得するに足りる説明はなかった。

2 病気休職及び解雇の無効

次の事実によれば、仮に原告の疾病が業務に起因すると認められないとしても、原告に対する本件休職及び解雇処分は無効である。

(一) 被告は原告を病気休暇及び病気休職とする際、原告の頸腕症を業務外の疾病と判断するに当たり、原告の従事していた作業内容の検討や原告を診察していた医師の意見聴取等の特段の調査をしなかった。

(二) 本件休職の期間は「原告の休職事由が消滅するまで」とされているが、右休職事由が何であるかは明確でなく、このような曖昧な概念によることは書記の立場を極めて不安定にする。また、服務規定二三条二項が期間について「その都度決める」としているのは、一定の期間を区切ってその都度個別に病気休職を与えるかどうかを判断しようという趣旨であると解すべきであるから、「休職事由が消滅するまで」といった漠然とした定め方は右規定の趣旨に照らし許されない。

(三) 本件休職については、被告の意思表示が原告に到達していない。

(四) 被告は、犠牲者扶助規定が適用ないし準用された、胃癌、くも膜下出血・脊髄出血、悪性リンパ腫瘍、肺水腫、心不全、直腸癌、膵頭部癌、飲酒後深夜の交通事故、肺真菌症について業務起因性を認めているのに、本件について業務起因性を認めないで休職扱いにするのは、不公平かつ恣意的である。

(五) 港支部の役員は、昭和五二年八月の原告の職場復帰の申出に対し、軽減勤務の制度が存在することを当然の前提としていたが、その後同年九月には軽減勤務の制度自体を否定して完全に回復しなければ復職を認めないと主張し、同五三年三月には復職どころか退職を勧めるようになった。そして、同月三〇日、被告は原告に対し服務規程二〇条二項の準用を根拠に関東逓信病院の受診を要求し、同年四月二八日には服務規程二二条三項による、被告と公社との間の労働協約である「休職の発令時期等に関する協約」(以下「本件協約」という。)の準用を根拠に健康管理医である中央健康管理所の受診を要求した。このように被告の主張は一貫していなかった。

また、本件協約二条は「休職の発令については医師の診断に基づき健康管理医が休養を要するかどうかを審査し、その認定に基づいて行うものとする。」と定めているが、前記のとおり原告を病気休職とした際には、この手続はとられていないのに、被告は、復職の場合だけに本件協約中の規定を準用して、健康管理医の受診を要求した。しかも、本件協約における覚書によれば「心身の故障により休職中の職員は、その期間満了の一か月前までに、所要の診断書又はその他の資料を所属長に提出しなければならない。」と定められているのであるから、被告は、休職期間満了の直前に原告からその健康状態について診断書等の資料を徴し、それによって復職の可能性を検討すべきであるのに、原告が病気休職期間満了直前に提出した診断書の受取りを拒み、この手続を怠った。

(六) 被告が本件に適用されると主張する本件協約六条四項は、休職事由が消滅したかどうかの認定は医師の診断書に基づき健康管理医がこれを行うとしているのであるから、被告は原告が土肥医師の診断書を提出して復職を申し出た段階で健康管理医に右診断書を提示してその意見を求めなければならなかったはずである。しかるに被告は右意見聴取をせずに放置し、原告の右申出から一年三か月もたった後原告の提案に基づきようやく意見聴取を実施した。

(七) 本件解雇につき港支部執行委員会の発議や解雇を妥当とする中央委員会の議決は行われなかった。また、服務規程によれば、解雇に際し解雇予告手当が支払われると規定しているにもかかわらず、本件において右手続はとられていない。

(八) 被告と書記との関係は労働基準法の適用を受け、被告には同法八九条に従い書記に関する就業規則を作成する義務があるところ、服務規程及び細則は書記に関する就業規則の性質を有し、被告はこれらの規定の作成に当たっては同法九〇条一項に定める行政官庁への届出を要するにもかかわらず、右手続を怠った。したがって、服務規程及び細則は労働基準法に違反し無効であり、これに基づく解雇の意思表示は無効である。

二原告の主張に対する被告の認否

1 原告の主張1は争う。

2 同2の(一)ないし(六)は争う。(五)については、仮に港支部執行委員会の発議を欠いていたとしても、解雇を無効とするほどの重大な瑕疵ということはできない。本件において被告の中央執行委員会は、港支部と接触して原告の病状を把握しており、昭和五三年三月以降港支部と会合を重ね解雇の判断に必要な資料を充分に収集したうえで解雇を妥当と判断したものである。(六)については、服務規程は一面では労働条件についても定めているものの、役員及び書記の服務についての両者に共通する定めであって労働組合という団結体の自律機能に基づく規約、諸規程の一部であるから、労働基準法にいう就業規則ではない。

三被告の主張

原告の病気休職については、休職事由消滅の認定がされていないから、原告の復職申出はその効力を有するものではない。

すなわち、休職事由消滅の認定方法は、服務規程及び細則のいずれにも定めがないが、被告においては、休職事由消滅の認定方法につき被告と公社との間の労働協約である「休職の発令時期等に関する協約」(以下「本件協約」という。)を適用するのが従来からの慣行である。被告の中央執行委員会は、原告の本件休職事由消滅の認定方法についても右慣行に従い、服務規程二二条三項の「休職に関して、この規程に定めのない事項は中央執行委員会が定める。」との規定に基づき本件協約六条四項の「非結核性疾患による休職の休職事由が消滅したかどうかの認定は、医師の診断書に基づき健康管理医がこれを行うものとする。」を適用すること、同項にいう「健康管理医」とは公社の東京中央健康管理所の医師又はその指定する医師であることを確認した。被告は、これに従い昭和五三年五月二六日、右健康管理医である東京中央健康管理所長酒井好道医師に原告の診断書、健康診断個人票等の資料を示して原告の休職事由消滅の認定を求めたところ、右認定については原告を直接診断する必要があるとの判断を得た。そこで、被告は、港支部の本多書記長を通じて同月二九日原告に対し右健康管理医の受診を求めたが、原告がこれを拒否し続けたため、休職期間満了まで右休職事由の消滅は認定されなかった。

四被告の主張に対する原告の認否

被告の主張はすべて争う。

第四争点に対する判断

一原告は、頸腕症が港支部において原告が従事した業務に起因するものであると主張するので、原告がその根拠として主張する事実について順次検討する。

1  港支部における原告の担当業務

当事者間に争いのない事実、〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができ、〈証拠略〉中これに反する部分は採用することができない。

(一) 原告が業務に従事していた当時、港支部の人的構成は執行委員七名(非専従役員を含む)及び書記四名の合計一一名であった。

(二) 原告が港支部勤務を始めた昭和四四年九月から同四六年四月中旬ころまでの担当業務は、次のとおりであった。

(1) 共済業務

原告の担当した共済業務の概略は、原告の主張のとおりである。

共済業務についてはボールペンによる複写作業があり、被告の調査によれば、共済業務における複写作業の量は昭和五一年九月から同五二年八月までの間が請求書四一五枚、異動通知書七一九枚(三月異動期は二七五枚)、同五二年九月から同五三年八月までの間が請求書三九五枚、異動通知書七一二枚(三月異動期は二六八枚)であり、原告が共済業務を担当していた当時のボールペン複写の量もほぼ同様であった。

また、原告は、新規加入手続、異動手続及び共済金請求手続等を行う際、被告の全組合員(未加入者を含む)及び非組合員である加入者の全電通共済組合員個人原票が保管されている高さ一三〇センチメートル位のバイデキスの引出しを開けて個人原票を出し入れする作業を一日一〇数回行った。

(2) 輸血センター業務

輸血センター業務の概略は原告の主張のとおりであり、原告は三橋副委員長(当時)と二人で同業務を担当していた。

採血は一年に二、三回行われ、原告は採血当日は一日ほとんど立ったまま立会補助をし、供血者が起き上がるのを手伝った。

(3) 総務

原告は出勤簿の管理、文書、印刷物の整理保管等を行った。その頻度等は不明である。

(4) 調査交渉補助

原告は調査交渉に関する業務の補助として電話連絡、連絡文書の発送、団体交渉記録書の目次作成等を行った。その頻度等は不明である。

(三) 原告の昭和四六年四月下旬ころから同四九年四月までの担当業務は、次のとおりであった。

(1) 会計業務

会計業務の概略は、原告の主張のとおりである。

港支部委員会経過報告書によれば、当時会計業務につき北添書記が支部会計責任者として上部交付金関係業務の担当とされ、同人は、原告が会計業務を担当していた当時、経理明細簿の記帳、経費明細簿からの一般会計現計書の作成、決算報告書の作成を行ったほか(以上については原告が手伝ったこともある。)、原告と共同して自主徴収にかかる組合費の金額を数えて銀行預金すること、カンパの受入れ、犠牲者扶助支払の書類作成(現金の授受は原告が行った。)、上部関係の書類作成(ほとんどは原告が行っていた。)、試算表と一般会計現計書との照合、会計監査の立会、分会の業務処理点検、予算案作成準備、新年度の帳簿類、諸用紙、諸文書綴の作り替え、組合費の決定通知文書の作成・発送、活動者会議での受付業務、上部会議への出席等を行っており、その余の会計業務を原告が行っていた。

会計業務中、原告の主たる業務は現金出納業務であった。右業務の内容は、各種証拠書類の作成(支出請求書は請求者が書くが、原告が書く場合も半分以上あった。旅費請求書・旅費支給内訳書については、請求者が名前を記入し、原告が金額を記入した。組合休暇届出書、組合休暇減額証明書、組合費控除通知書は分会又は公社が作成するものであるが、原告が事実上作成することがあった。そのほか、組合費分会別納入内訳書、分会執行活動費等送金調書を原告が作成した。)、点検整備、科目の決定、伝票・日計表の作成、記帳である。

出納業務のうち組合費徴収業務は、組合費の金額が賃金によってランク付けされているため、チェックオフに基づいて預金口座に振り込まれた金額と分会から送付された組合費控除通知書(右通知書の送付も遅れがちであった。)を集計し金額を照合するのに手間取った。また、一年に三回位組合費の自主徴収があり、分会の徴収作業の遅れのため業務に時間がかかった。また犠牲者扶助支払業務については、被告の昭和四八年、四九年開催の財政総務担当者会議、全国会議、中央委員会において、事務の繁雑化により関係者に業務の多忙を強いているとして事務簡素化の必要性が指摘されていた。

賃金支払業務は港支部の役員四名、書記三名の合計七名につき月一回で年合計一二回のほか、臨時の支払が年五回くらいあった。通勤費の支払は一年間に三、四回であった。

会計業務の作業量は次のとおりであった。すなわち、被告の昭和四七年九月及び一〇月の会計作業量の調査によれば、会計の作業量は伝票の枚数が一日平均約6.6枚、金銭出納簿への記帳が一日平均約四行、銀行勘定元帳への記帳が一日平均1.8行、元帳への記帳が一日平均5.3行であった。なお、伝票の作成には、関係証拠書類が伴い、右証拠書類中には原告が作成、記入作業をしなければならないものもあった。

(2) 退職者の会の事務も原告が行っていたが、同事務の分量については、不明である。

(四) その他の業務

原告は、港支部での稼働期間を通じて、担当とされていた業務以外にも原告の主張(原告の担当業務―その三)記載の業務を、港支部書記局の者と一緒に行った。このうち、コピーの枚数は多い時で一度に二五〇枚を超えることがあった。また、港支部役員の煙草買い、私用電話、同僚の銀行振込み等の私用を頼まれることがあった。

(五) 原告の業務量

原告の業務量に関しては、前記の各担当業務毎に認定したほか、次のとおりであった。

昭和四三年から同四七年にかけて公社の推進した合理化に反対して企業離籍体制等を実施したことから、被告は、書記が中心となって書記局業務を行わなければならないとの活動方針を示したが、書記の増員は実施されなかった。右企業離籍体制の実施によりどの程度の書記の業務量の増加があったのかは不明である。

港支部においては昭和四五年ころから、それまで昼休みを午前一二時から午後一時まで四名の書記が一斉にとることとしていたのを、午前一一時三〇分から午後一二時三〇分までと午後一二時三〇分から午後一時三〇分までとに分け、二名ずつ交代でとることとしたが、原告は昼休みの休憩中に電話を受けたり、来訪した組合員の応対をしたり、食堂で食事中に呼び出され食事を中断して仕事をしたことがあった。しかし、原告が昼休み中に行った右業務の頻度については不明である。

原告は、出勤簿に記載されたもの以外にも、分会から現金を運んでくるのを待っていたり、印刷をしたり、春闘、闘争、選挙応援、学習会、泊まりがけの会議等で時間外に勤務をしたことがあったが、出勤簿に記載された以外の時間外勤務の時間数については不明である。

また、原告は、年次有給休暇や生理休暇の取得について役員からの叱責を恐れて年次有給休暇、生理休暇及び病気休暇をとらなかったことはなかった。

2  原告の発症及び再発直前ころの業務量について

〈証拠略〉によれば、次の事実が認められる。

(一) 原告の頸腕症の症状が現れ始めた昭和四六年春ころの直前の業務量

原告は、同年四月中旬ころまでは主として共済業務、同月下旬以降は担務替えにより主として会計業務を担当したほか、同年三月に春闘、同年四月に東京都知事選挙及び統一地方選挙の支援に伴う業務を行った。右春闘及び選挙支援の際の原告の業務量は不明である。

出勤簿によれば、原告の同四六年一月から四月までの時間外勤務の状況は次のとおりであった。

(1) 同年一月三〇日 会計処理 二時間

(2) 同年二月二日 同 一時間

五日 同 一時間

六日 同 二時間

(3) 同年三月六日 共済業務処理二時間

八日 同 一時間三〇分

二六日 ビラ印刷 二時間

(4) 同年四月二三日 スト関係 三〇分

二六日 分代会議 二時間

二七日 同 一時間三〇分

三〇日 スト関係 二時間

(二) 原告の頸腕症の症状が再度悪化した同四八年一〇月ころの直前の業務量

原告は、同四八年五月下旬に支部会計監査、六月五日に本部会計監査、同月末に本部の決算、七月末に港支部及び地本の決算、同年八月末に港支部の暫定予算の決算、九月に会計年度が替わったことに伴う会計関係書類の更新、九月末に暫定予算の会計監査、一〇月に決算報告書の印刷作業等の会計業務を行った。このほか、被告においては、同四七年に秋年末闘争、同年一一月及び一二月に総選挙支援、同四七年から同四八年にかけて合理化反対運動、同四八年三月から四月にかけて春闘、五月一九日に第一回総合文化祭、六月一日から三日まで組織強化会議、同月一五日にボーリング大会、六月から七月初めころにかけて都議会議員選挙の支援、七月一〇日にソフトボール大会、同月一四、一五日に青年合宿訓練、九月八日に退職者の会結成、九月七日、一七日、一〇月一七日に分代会議、一〇月一一日に港支部委員会、一〇月五日、六日に活動者会議等があり、原告は、これらに伴う支払業務その他の業務を行ったが、右業務量は出勤簿に記載された時間外勤務の時間数以外は不明である。

出勤簿によれば、原告の同四七年九月から同四八年一〇月までの時間外勤務の状況は次のとおりであった。

(1) 同四七年九月一一日 分代会議一時間

二二日 速報印刷 一時間三〇分

二九日 活動者会議 二時間三〇分

(2) 同年一一月六日 資料作成二時間

二九日 速報配付 二時間

(3) 同四八年一月八日 会計事務処理 一時間三〇分

二〇日 支部成人式 四時間

(4) 同年二月八日 速報印刷一 時間三〇分

一七日 会計事務処理 四時間

(5) 同年五月七日 休日振替え三時間三〇分

一八日 動員補佐 二時間三〇分

一九日 総合文化祭(週休日出勤八時間)

二三日 決算事務 一時間二〇分

二四日 同 五〇分

二五日 会計監査 一時間二〇分

(6) 同年六月二日 組織強化会議出席(週休日出勤 七時間四〇分)

三日 同 三時間

四日 会計事務 二時間三五分

(7) 同年八月七日 会計事務一時間

二九日 支部大会準備 一時間二〇分

三一日 支部大会 二時間

(8) 同年九月七日 分代会議一時間一〇分

二七日 暫定予算事務決算 一時間

(9) 同年一〇月六日 活動者会議三時間三〇分

八日 速報作成 二時間

九日 同 一時間

一八日 会計事務 一時間

二二日 速報事務 三五分

3  港支部の職場環境

〈証拠略〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一) 換気

港支部書記局の部屋は建物の地下一階にあり、換気装置は天井、出入口の下方及び食堂との仕切りのボードの下方に吹出口が設けられていたが、食堂との仕切り部分の吹出口の前にはロッカーが置かれていた。窓は四面あり二面が開閉可能であったが自動車の排気ガスを避けるため閉めていることがあった。部屋には人の出入りが多く、喫煙のため室内の空気が良好とはいえなかったが、当時の空気の汚れの具体的程度については測定値もなく不明である。なお、地下二階では部屋に置かれていた印刷機使用時の薬液の悪臭がひどかった。

(二) 冷房

書記局には三台の冷房装置があり、そのうち一台は原告の座席の背後三〇センチメートルから四〇センチメートルのところにあり、毎年六月から九月まで、ほぼ毎日作動していた。冷房装置は構造上、断・入・強・弱の操作が可能であったが、原告はその一存で切換えができず、冷え過ぎに悩まされた。

(三) 暖房

書記局の部屋の床はコンクリートの上に化粧板を貼っただけのものであり、冬季には天井から暖気が出ていたが、足元は冷えていた。補助暖房として電器ストーブ一台があったが、原告の座席から離れていて役にたたなかった。なお、昭和四八年ころ補助暖房としてガスストーブが入れられた。

(四) 採光・照明

自然採光は、地下室であるうえ、窓の前にポスターが貼られたり、物が置かれていたりしたため不十分であった。照明は天井に埋込み式の蛍光灯が設置されており、同五二年一一月二二日実施された労働基準監督署の調査によれば、その照度は二二〇ルクスから二五〇ルクスであり、特段問題がなかった。なお、机上に照明は置かれていなかった。

(五) 騒音等

前記労働基準監督署の調査によれば、部屋の換気孔直下の騒音の測定値は六〇ホーンであり、特段問題がなかった。もっとも右測定値は事務局が移転した後に行われたものであり、人の出入り、話声、電話の呼出音、天井のファン等原告の勤務していた当時の実際の騒音の程度と同様であるかどうかは不明である。なお、書記の休憩室は特別設けられておらず、書記局内に置かれたソファ等のところで休んでいた。

4  他の頸腕症患者の発生

〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨によれば、昭和四六年九月から港支部で共済事務を担当していた長尾書記が、同五〇年六月ころ頸腕症のため軽減勤務となり、同年七月以降約四か月間病気休暇を取得した後、約一年半軽減勤務を続けた結果、治癒して通常業務に復帰したことが認められる。なお、原告の主張するその余の書記の頸腕症患者の発生については、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

5  医師の診断

〈証拠略〉によれば、医師の診断書の内容は、次のとおりである。

(一) 医療法人社団港勤労者医療協会芝病院の石川医師の昭和四六年六月三日付け診断書…頸肩腕症候群で週二回二か月間の通院加療を要する。

(二) 医療法人石心会川崎幸病院の今井医師の同四九年四月一日付け診断書…頸腕症候群、腰痛症で週二回の通院加療を要する。

(三) 同病院の滋賀医師の診断書

同四九年四月二二日付け診断書…頸腕症候群、腰痛症、低血圧症の症状著明で向後一〇日間の静養加療を要する。

同年五月七日付け診断書…頸腕症候群、腰痛症、低血圧症の診断により休養加療し、やや好転の徴候をみたるも一日勤務により増悪著明、勤務不能のため更に一か月間休養加療を要する。

同年六月四日付け診断書…頸腕症候群、腰痛症の症状にて内服薬、注射療法(バンドクリン)と、この種症状に適応する鍼灸療法により無労作状態においては健康恢復に向かっているが、低血圧症、胃潰瘍瘢痕もあり体質的に著しく虚症にて現状にては従来の作業環境に戻って勤務可能の状態と認められず、向後二か月の休養加療の継続を必要と認める。

同年八月六日付け診断書…同四九年四月二二日以降頸腕症候群のため休養加療中のところ、軽快に赴いているが、未だ全治に至らず、完全なる職場復帰の前段階として向後二か月間作業半減によって訓練的執務を必要とする。

同年一〇月七日付け診断書…頸腕症候群により八月上旬より作業半減によって訓練的執務と加療によって恢復をはかってきたが好転を見ず、引続き向後二か月従前通りの作業半減により加療を続ける必要ありと認める。

同年一二月一三日付け診断書…頸腕症候群により八月上旬より作業半減により加療を続けているが軽快せず、引続き向後二か月従前通り作業半減により加療を続ける必要ありと認める。

同月一七日付け診断書…頸腕症候群、腰痛症、低血圧症、貧血症の諸疾患により本年八月上旬より作業半減により加療を続けているが軽快せず、引続き向後二か月間従前通り作業半減により加療を続ける必要ありと認める。

同五〇年二月四日付け診断書…頸腕症候群、腰痛症、貧血症、低血圧症の疾患により業務軽減(半減)のうえ加療中のところ、恢復に向かいつつあるも、貧血症、低血圧症なども伴い体力減退あり恢復遅々たる状態である。よって引続き三か月間業務軽減(三分の一減)のうえ、一週二回通院加療を要する。

同年五月六日付け診断書…頸腕症候群、腰痛症、貧血症、低血圧症の疾患により業務軽減(三分の一減)のうえ勤務し加療中のところ、恢復思わしからず引続き三か月間右記と同様の軽減作業にて勤務し週二回の通院加療を必要とする。

同年八月四日付け診断書…原病の頸腕症候群、腰痛症、貧血症、低血圧症に加えて急性胃腸炎発症、八月二日より原病増悪、彼此勘案のうえ向後二週間の休養加療を必要と認める。

同月一五日付け診断書…頸腕症候群、腰痛症、低血圧症、貧血症の疾患により八月一八日以降六か月の休養加療を必要とする。

同五一年二月一六日付け診断書…頸腕症候群、腰痛症、貧血症、低血圧症の諸疾患により休養加療中のところ同五〇年八月段階より格段の症状改善をみるも執業は未だ不能である。恢復緩慢なるを以て引続き同五一年二月一八日以降六か月間の休養加療を要する。

(四) 同病院の土肥医師の診断書

同五〇年八月八日付け診断書…頸肩腕痛、腰痛のため二週間安静を要する。

同月二九日付け診断書…頸肩腕症、腰痛症の症状が増悪したため、さらに三週間安静加療を要する。(頸椎、腰椎に異常は認められない。)

同五一年八月三日付け診断書…頸腕症、腰痛症。症状軽快せぬため引続き二か月間療養安静を必要とする。

同年一〇月五日付け診断書…頸腕症、腰痛症にて通院中だが、症状軽快せぬため引続き二か月間安静加療を要する。

同年一二月七日付け診断書…頸腕症、腰痛症にて通院加療中だが引続き二か月程度安静加療及び通院を要する。

同五二年二月一五日付け診断書…頸腕症、腰痛症にて引続き一か月程度通院加療、安静療養を要する。

同年三月一五日付け診断書…頸腕症、腰痛症にて引続き一か月間安静療養を要する。

同年四月一二日付け診断書…頸腕症、腰痛症で現在加療中だが、引続き一か月程度通院加療を要する。

同年五月一〇日付け診断書…頸腕症、腰痛症にて通院加療中だが、軽減勤務であれば週二〜三日程度可能と思われる。ただし、症状増悪の場合は安静療養を要する。

同年八月四日付け診断書…頸腕症、腰痛症にて通院加療中だが、比較的症状が軽減したので勤務可能と思われる。ただし、作業時間及び内容の軽減等を要し、症状増悪の場合は療養を要する。

同五四年七月一四日付け診断書…頸腕症、腰痛症。通院にて経過観察中だが、勤務は可能と考えられる。ただし、作業時間及び内容の軽減等配慮を要する。

二以上の認定事実に基づいて、原告の疾病が業務に起因するものか否か、換言すれば、疾病と業務との間の相当因果関係の存否、すなわち業務が頸腕症発症の種々の原因の中で相対的に有力な原因であったかどうかについて検討する。

1  〈証拠略〉によれば、労働省労働基準監督局長は、労災保険における業務上外認定基準として昭和五〇年二月五日付けで「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達を発していること、同通達によれば、頸腕症が業務上のものとされるためには、当該労働者が、上肢の動的筋労作(打鍵、カード穿孔機・会計機の操作、電話交換の業務、速記の業務のように主として手、指の繰り返し作業をいう。)又は上肢の静的筋労作(ベルトコンベヤーを使用して行う調整、検査作業のように、ほぼ持続的に主として上肢を前方あるいは側方挙上位に空間に保持するとか、顕微鏡使用による作業のように頸部前屈など一定の頭位保持を必要とするような作業をいう。)を主とする業務に相当期間継続して従事したことが必要であるとされていることが認められる。

右通達は、頸腕症の診断基準、発症要因等について医学的研究が前進したとはいえ、なおいろいろの点で見解が分かれている現時点において、医学的に解明されている範囲を集約し、行政的に依って立つべき認定基準を設定したものと考えられるから、右通達の認定基準は疾病と業務との相当因果関係の判断についても斟酌するのが相当であるが、前記認定事実によれば、原告の従事した業務は伝票の作成、記帳等の書字作業のほか、電話応対、印刷、コピー作成、会議出席、お茶くみ、銀行への外出等の種々の雑務がある、いわゆる混合作業であって、上肢の動的筋労作又は上肢の静的筋労作を主とする業務ということはできず、右通達を基準とすれば、原告の頸腕症と業務との間に因果関係を認めることはできない。

しかしながら、右通達の認定基準は、頸腕症が上肢作業以外の作業から発症することが一般に乏しいと考えられるので、上肢作業を中心として設定されたものであり、それ以外の作業態様から頸腕症が発症する可能性があることを否定するものではないと解される。そこで、原告の従事した業務の内容、業務量、作業環境等に照らし、原告の頸腕症と業務との間に相当因果関係が認められるか否かを検討する。

2  原告の業務の内容及び量についてみると、前記認定事実によれば、原告が昭和四四年九月から同四六年四月中旬ころまで担当していた共済事務については、ボールペンによる複写作業の量は請求書が月平均三三枚位、異動通知書は最も多い三月で二七〇枚位、その他の月は平均四〇枚位で、一日の分量にすると、最も多い三月が合計一〇数枚程度、他の月は二〜三枚程度であり、バイデキスからの個人原票の出し入れの作業は一日一〇数回程度、輸血センターの採血業務の立会補助は年二、三回であって、上肢の筋労作を伴う作業の業務量はむしろ少ないといえ、それ以外の業務を考えても業務量が全体として過重であるとは認め難い。なお、原告は、被告の他の支部において共済担当の書記が頸腕症に罹患したためバイデキスの作業を取り止めたことがあったと主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。

原告が同四六年四月下旬ころから同四九年四月まで担当していた会計業務については、伝票が一日平均六、七枚位、記帳が一日平均一一行程度であり、伝票の作成については、これに伴い証拠書類の作成をしなければならなかったにしても、原告がそのすべてを作成したわけではなく、その作成枚数も右伝票の枚数からみて、さほど多いとは考えられないから、やはり上肢の筋労作を伴う作業は少なく、全体の業務量も過重であるということはできない。

原告は、従前に共済業務や会計業務の経験がなかったこと、分会の担当者が不慣れで書類の不備、不明等の点の連絡に時間がかかったこと、時間が限られており、金銭、プライバシーに係わる事項が多く神経を使ったことを主張するが、一般に事務処理に当たり右のようなことが伴うのは通常のことであって、右主張は業務過重の根拠とはなり得ない。また、前記認定事実によれば、原告は、その他の業務として原告の担当業務―その三で主張する業務を行ったほか、役員や同僚の私用を頼まれることがあり、原告が右共済、会計業務以外にこれらの業務処理を命ぜられることにより、業務量が増加したとはいえるが、右各作業は原告が一人で行っていたものではないこと、これらの作業は時期的に限られているものであるか、一つの作業を継続して長時間やることはないものであることから、右各作業が加わったからといって、業務量が過重であったとはいえない。さらに、原告は春闘、闘争、選挙応援時には業務量が増加し、時間外の勤務を要することがあったとはいうものの、右は一時的なもので、その具体的な業務量が著しく多かったと認めるに足りる的確な証拠はない。

3  次に、前記認定事実によれば、原告の頸腕症の発症の直前ころの業務量は、共済業務、会計業務に春闘及び選挙支援に伴う業務が加わっていたが、右春闘及び選挙支援に伴う業務量は不明であり、しかも共済業務及び会計業務の業務量がこの時期に特に過重であったと認めるに足りる証拠もない。また、原告の頸腕症の再発の直前ころの業務量についても、通常の会計業務に暫定予算の決算、会計監査、諸行事に伴う支払業務が加わっているものの、これによって会計業務が著しく過重になったとまで認めることはできない。その他の行事に伴う業務についても、いずれも一時的なものと認められ、その業務量は、出勤簿に記載された時間外勤務の時間数はさほど多いとは言えず、それ以外の業務量は不明である(原告は、出勤簿に記載された以外にも時間外勤務をしたと主張するが、具体的な業務量を認めるに足りる的確な証拠はない。)から、原告がこの時期に過重な業務に従事したと認めることはできない。

4  さらに、原告の作業環境についてみるに、前記認定事実によれば、港支部書記局の部屋の環境は冷暖房において必ずしも十分なものではなく、特に冷房については夏期に冷房がききすぎ、原告がこれに悩まされており、暖房についても足元の暖房が不十分であった。それがどの程度頸腕症に影響を与えたかは明らかでないが、〈証拠略〉によると、右冷暖房の状況が頸腕症と関連を有することを否定できないものと認められる。採光・照明については、地下室である以上自然採光が少ないのは止むを得ないことであり、労働基準監督署の調査でも照明器具による照度に特段問題がなかったし、騒音についても右労働基準監督署の調査で特段問題がないとされ、右調査数値に原告のいう人の出入りや話声、電話の呼出し音、天井のファンの音等が加わったとしても、その場合の音が他の一般の事務室に比べ格別に騒がしいとは考えられない。換気については、必ずしも良好とはいえないとしても、人の出入りや煙草の煙による室内の空気の汚れの程度については、特に劣悪であったとはいえない。

5  医師の診断についての前記認定をみると、原告は昭和四六年六月に石川医師から初めて頸肩腕症候群と診断され、同四九年四月に今井医師から頸腕症候群、腰痛症と診断され、同四九年四月から同五一年二月にかけて滋賀医師から頸腕症候群、腰痛症、低血圧症、貧血症と診断され、同五〇年八月ころから同五四年七月にかけて土肥医師から頸腕症、腰痛症と診断されているが、診断書の上で特に業務との関係に触れたものは見当らない。

右土肥医師は、本件訴訟において証人として、原告を診察した当時、原告のボールペン複写等の作業形態及び冷房、照明、騒音等の職場環境が原告の頸腕症を発症させるのに十分と判断した旨の証言をしているが、同証人の証言によれば、同医師は、原告の作業内容やその量、職場環境の実態等について、港支部の職員に聞くなど特別に調査したことはなく、診察の際に原告から聴取したこと(それがどの程度詳しかったかは不明である。)のみを判断根拠としていること、業務以外の原因の存否については必ずしも十分な検討を加えていないことが認められ、したがって、同医師の証言によっても、原告の業務が発症にどの程度寄与しているかは明らかではない。

次に、〈証拠略〉には、滋賀医師は、原告を診察した当時、原告の頸腕症はその仕事に原因があると考えていた旨の記載があるが、同医師が原告の仕事内容をどの程度把握していたかは不明であり、同医師は、原告について貧血症、低血圧症の疾患を指摘している。さらに、石川医師及び今井医師については、原告の頸腕症の原因をどう判断していたのかを示す証拠がない。

また、原告は、前記のとおり、昭和四九年四月下旬から同年八月初めまで病気休暇を取り、その後約一年間の軽減勤務の後、再び病気休暇を取り、さらに病気休職となったのであるが、前記医師の診断によれば、このように業務を離れても原告の頸腕症は、その症状が軽快していない。

6  前記認定事実によれば、昭和五〇年六月ころ港支部書記局の共済事務を担当していた長尾書記が頸腕症に罹患しているが、同人の頸腕症が業務に起因するものであるか否かは不明である。

以上1ないし6に述べた諸事情を総合判断すると、原告の頸腕症の発症及び悪化につき、港支部において業務に従事したことがなんらかの関連を有することは否定できない。しかしながら、前述のような原告の業務内容及びその量に照らすとともに、原告が低血圧症、貧血症に罹患しており、業務を離れて長期間が経過しても症状が軽快しないこと、頸腕症の発症については、医学的に必ずしも十分に解明されておらず、一般に身体的、精神的資質ないし因子や日常生活上の諸要因など、様々な原因が絡み合って発症に至ると考えられていること等を併せ考えると、原告の業務及び職場環境がその頸腕症の相対的に有力な原因であったとまで認定することはできず、職場環境中冷暖房に前記のような問題があったこと、さらには、長尾書記の発症の事実を考慮しても、なおこの判断を左右することはできないといわざるを得ない。したがって、原告の頸腕症と業務との間に相当因果関係は認められないというべきである。

三次に、安全配慮義務違反ないし不法行為に基づく被告の責任について判断する。

右に説示したとおり、原告の頸腕症の発症と業務との間には相当因果関係を認めることはできないから、原告の頸腕症の発症自体につき原告に安全配慮義務違反があるということはできず、不法行為上の責任も認められない。

原告はさらに、頸腕症の悪化について被告の責任を主張し、まず、頸腕症を発症して間もない昭和四六年六月に頸腕症との診断書を被告に提出したにもかかわらず、被告が原告の通院への配慮や業務内容の見直し等の措置をとらなかったことを非難するが、前記認定のとおり、原告は通院治療により症状が軽快し、いったん通院を中断したものであって、このころ原告の頸腕症が悪化したとは認められない。次に、同四八年ころから休暇に入るまでの頸腕症の悪化については、このころ、被告は原告提出の診断書の記載内容に沿って勤務の軽減措置を講じていたものであり、原告が右診断書に記載された以上に休暇及び勤務内容の軽減を要したと認めるに足りる的確な証拠はない(この点につき、原告本人は勤務を強制されたかのような供述をし、〈証拠略〉にも同様の記載があるが、にわかに採用することはできない。)から、被告の責任を問うことはできない。原告は、週二回の通院加療を要する旨の同五〇年二月四日付け診断書を提出したにもかかわらず被告が勤務時間内の通院を週一回しか認めなかったことが頸腕症の悪化の一因である旨主張し、〈証拠略〉によれば、原告は、同年二月から五月までは月四日、同年六、七月は月三日のみ勤務時間内に通院していることが認められるが、原告が勤務時間外に通院することが困難であったと認めるに足りる証拠はなく、仮に多少の障害があったとしても、そのことのみで被告に安全配慮義務違反があるとまでいうことはできない。また、原告は、同年前半の被告のストライキ及び選挙に伴う業務のため疲労が著しかった旨主張し、〈証拠略〉によれば、同年三月二七日、四月一五、一六日、五月七日、一〇日に被告のストライキが、同年四月に統一地方選挙があったことが認められるが、これに伴う原告の業務量の増加の程度は不明であって、被告が原告を過重な業務に従事させたと認めることはできない。さらに、〈証拠略〉によれば、原告は昭和五〇年七月、頸腕症となった長尾書記の休業に伴い共済の仕事を命ぜられ、同四九年九月以来冷房から離れた席に移っていたのに再度冷房のそばの席に移されたことが認められるが、共済事務の内容が、過重な業務とはいえないことは前記のとおりであるし、冷房についても、同五〇年夏には多少弱められて室温が二四度前後であったことが認められるから、右の被告の措置についても被告に安全配慮義務違反があるとまではいえず、不法行為も成立しないというべきである。

四さらに、復職申出及び解雇の効力について検討する。

1  当事者間に争いのない事実、〈証拠略〉を総合すれば、次の事実を認めることができ、原告本人尋問の結果中これに反する部分は採用することができない。

(一) 原告は、前記のとおり昭和五〇年八月以降休業していたが、その後、前記症状が軽快し、医師の勧めもあったため、同五二年春ころから職場復帰を考えるようになり、同年三月ころ港支部の本多書記長に職場復帰の件を打診し、同年四月二六日港支部の樋口委員長に通勤訓練から始めて徐々に体を馴らしていきたい旨述べたところ、樋口委員長から通勤訓練という形では認めないが、港支部に来ることは差し支えないとの回答を得た。そこで、原告は、通勤訓練の意味で週二、三回港支部に通い始めたところ、症状の悪化もみられなかったので、仕事ができそうだとの感触を持ち、土肥医師から週二、三日程度の軽減勤務が可能であるとの診断書(同年五月一〇日付け診断書)を得て、同年五月下旬ころから週二、三回事実上出勤して軽作業をするようになり、同年一一月ころまで次第に出勤日数及び作業時間を長くしていった。

(二) 原告は、同年八月五日、港支部の樋口委員長及び本多書記長に、土肥医師作成の、勤務可能であるが作業時間及び内容の軽減を要し症状増悪の場合は療養を要する旨の同月四日付け診断書を提出して復職を申し出たところ、同月一一日本多書記長から右診断書には軽減勤務の内容が書いていないので、この点についての医師の判断が必要であるとの指摘を受けた。このため、原告は、土肥医師に、機能回復を図りつつ徐々に就労していくことが望ましく、当面半日勤務程度が適当と思われる旨の同月二七日付け意見書を書いてもらい、同年九月二日右意見書を本多書記長に提出した。本多書記長は、同月九日原告に対し、右診断書及び意見書では原告の頸腕症が回復したか否か不明である旨述べた。樋口委員長及び地本の高城書記長は、同月二二日港支部で行われた復職の件についての原告との話し合いの席上において、原告に対し、右診断書及び意見書では原告の回復の度合が不明であり、出勤しても以前のように軽減勤務した後また病気休暇を取得するといったことを繰り返されるのでは原被告とも困る旨述べるとともに、原告の現在の状態について確かめたいので関東逓信病院か労災病院の医師の診察を受けてはどうかと打診した。原告は、土肥医師から右意見書以上のものを出してもらうのは困難である、関東逓信病院の医師は書記の仕事内容を知らないから不適当である等と述べ、逆に樋口委員長らに完全に治癒しなければ復職できないのか等と質問し、これに対し樋口委員長は、そのような趣旨ではない旨返答した。

(三) 樋口委員長は、同年一二月二〇日、土肥医師を訪れて原告の症状及び回復の度合等について質問し、同医師から原告は八割方回復していること、治療行為だけで原告の症状を直すことは無理であり、仕事内容等につき受け入れる職場の理解が必要である等の説明を受け、右説明の内容を地本に伝えた。

(四) 原告は、同五三年一月に三鷹市からの納税通知書に原告が同五二年八月三〇日付けで退職扱いとなっている旨の記載があったことに驚き(右は本来休職とすべきところを被告の事務手続上の誤りにより退職扱いとなったものと認められ、被告はその後これを休職に訂正している。)、同年二月八日、被告の及川中央執行委員長に対し、内容証明郵便で、原告に対し賃金が支払われていない根拠等について質問したが回答を得られなかった。そこで、本件の解決を原告訴訟代理人森谷(以下「原告代理人」という。)に委任し、同代理人は、同月一八日、右及川中央執行委員長に対し内容証明郵便で同様の質問をした。

(五) 原告代理人と被告訴訟代理人杉本(以下「被告代理人」という。)は、同月二二日以降本件について話合いを持った。右話合いにおいて、被告代理人は、同月三〇日、原告に関東逓信病院で医師の診察を受けてもらいたい、同病院で土肥医師と同様の診断結果が出れば原告を復職させ軽減勤務をさせることとする旨を述べた。これに対し原告代理人は、制度上書記は同病院の診察を受けることができないことになっているのではないか、原告は同四九年六月二六日港支部に呼び出され医師の診察を受けさせられたが、その結果を全く知らされていないことがあり、今回受診せよといわれても納得できない、主治医の診断書によるのが一番良いのではないか等と答えた。原告代理人は、その後、被告が診察を要求する医師は、批判の多い頸腕症についての公社のプロジェクトチームの答申に参加した医師であると指摘し、被告代理人はそれでは別の医院、医師の診断を受けたらどうか等と提案した。被告代理人は、同五三年四月二八日、原告代理人に対し、被告と公社との間の労働協約である「休職の発令時期等に関する協約」六条四項(非結核性疾患による休職者の休職事由が消滅したかどうかの認定は、医師の診断書に基づき健康管理医がこれを行うものとする。)を準用し(被告においては、細則十四5で休職期間中に休職事由が消滅した場合には復職させると規定しているが、休職事由消滅の認定方法については、服務規程上定めがないため右労働協約を準用するのが従来からの慣行であった。)、同条項の健康管理医として東京中央健康管理所の医師を指定したので、その診察を受けてほしいとの見解を示した。これに対し、原告代理人は、同協約による健康管理医は「医師の診断書」に基づき判断するとされているのであるから、原告の提出した土肥医師の診断書を指定医に見せて判断してもらったらどうかと提案した。被告代理人は、右提案に基づき東京中央健康管理所所長酒井医師及び浦本医師に診断書を見せたところ、土肥医師の診断書では疑問なので診断の必要があるとの回答を得、これを原告代理人に伝えた。原告代理人は、診断書に付いての疑問点の指摘を要求したが、具体的な指摘はなされなかった。そこで、原告及び原告代理人は、同年五月三〇日東京中央健康管理所へ行って浦本医師と面会したが、具体的な指摘は得られなかった。

被告は、同月三〇日原告に対し内容証明郵便で、原告の質問に対する被告の見解を総括し、①原告に賃金が支払われていない理由、②原告の病気休職の日付、③原告の休職の期間、④休職事由消滅認定の方法について述べ、健康管理医による原告の診断の日時、場所等については担当者から別途連絡するので協力してほしい旨を回答した。

(六) 原告及び原告代理人は、同年六月一六日被告本部において、被告役員及び被告代理人と話合いをしたが、原告側が土肥医師の診断書だけで原告を復職させるよう要求したのに対し、被告側は半日勤務に耐え得る健康状態であることが復職の最低条件であり、右条件を満たしているかどうかを判断するため指定医の受診が必要であると主張した。右話合いの席上、原告側は、指定医の受診をするか否かにつき検討して被告に回答する旨約したが、結局、受診することに納得できないとして回答をしなかった。

原告代理人は、同年七月一七日被告代理人に対し、内容証明郵便で、被告側において原告の休職事由が消滅したか否か判断するうえでなお解明されなければならないと考えている問題点の具体的指摘を求めたが、被告代理人は、同月三一日、右の点については六月一六日の話合いにおいて十分明らかにしているので回答の必要がない旨の返事だった。そこで、原告、原告代理人及び土肥医師の三名は、同年九月一九日東京中央健康管理所に行き、副所長の松谷医師及び浦本医師に面会したが、やはり問題点の具体的指摘はなされなかった。そこで、原告代理人は、同年一〇月三一日、同所の酒井所長に対し内容証明郵便で問題点の具体的指摘を求めたところ、酒井所長は同年一一月九日、原告は過去に消化器疾患、貧血等の病名で休んだ既往歴があり、頸腕症、腰痛症のみによってこのように長期の療養を必要とするのは極めて異例のことと思われるので、精密健康診断を適当と判断した旨の回答をした。さらに原告代理人は、同月二三日酒井医師に対し、精密健康診断の内容等について回答を求めたが、返事は得られなかった。

原告は、同五四年七月三〇日、被告に土肥医師作成の同月一四日付け診断書を提出しようとしたが、その受取りを拒否されたため、同年八月これを被告に郵送し、復職を要求した。

(七) なお、原告が病気休暇扱いになった経緯は、次のとおりであった。すなわち、被告は、原告の頸腕症が業務外の疾病であるとし、原告が右頸腕症により同五〇年八月一八日から同五一年八月一七日まで引き続き一年間病気休暇を取得したため、服務規程及び細則の規定に基づき同年八月一八日付けで原告を病気休職の扱いとして基本給を減額し、休職中の賃金を満一年経過後に無給とするとの細則十四3の規定に従い、同五二年八月一八日以降原告を無給とした。原告に交付された同五一年一〇月分の賃金明細書には病気休職減額との記載があり、同五二年八月分の賃金明細書には無給休職との記載があった。原告は、同五一年八月一一日地本の高城委員長から休職の辞令を出す旨を告げられた際、自己の疾病は業務上のものであるから休職にするのはおかしいと述べたが、右給与減額及び無給とする措置に対しては被告に異議を述べたことはなかった。

2  復職申出の効力について

原告の復職申出がその効力を有するのは、細則にいう「休職事由が消滅した場合」に該当するときであるところ、前記認定によれば、休職事由の消滅の認定がされていないといわざるを得ない。

すなわち、前記認定によれば、被告は、原告からの昭和五二年八月五日の土肥医師作成の診断書を提出しての復職の申出に対し(原告は同年五月二三日にも復職を申し出た旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。)、直ちに復職を認めず、従来からの慣行に従い公社との間の本件協約を適用して、原告の頸腕症が就労可能な程度に回復し休職事由が消滅したか否かを確かめるために被告の指定する医師の診断を受けるよう再三原告に求めた。ところが、原告がこれを拒否したため、休職事由の消滅が確認されなかったものである(なお、原告は被告の指定した中央健康管理所の医師は書記の健康管理医ではないと主張するが、本件協約六条四項が書記に準用された場合の健康管理医とは、結局被告の指定した医師という程度の意味にすぎないと解される。)。右によれば、指定医の診断を受ける旨の協定に従う慣行があり、しかも前記認定のように説明もされたのであるから、原告としては正当な理由がない限り被告の受診要求に応じるべきであったのであり、これを拒否した以上、被告がその復職を認めなかったことを不当とすることはできないと解すべきである。

そこで、原告の主張する正当な理由について検討するに、原告はまず、被告が受診を要求した医師が、内容が非科学的であり頸腕症の業務起因性をあいまいにするものであると批判されている「電々公社における頸肩腕症候群に関する医学的究明について」と題する答申の作成に参加した者であることを理由として挙げ、〈証拠略〉によれば、右答申に対する批判的意見があることが認められるが、右答申の内容はともかく、ここで問題となっているのは原告の頸腕症の回復の程度であるし、被告は、右答申に関与した医師への受診に固執せず、原告が右医師の受診に不満であれば、他の医師を指定してもよい旨を申し出ていたのであるから、被告が当初指定した医師が右答申に関与していたことをもって受診を拒否するのは筋違いであるといわざるを得ない。次に、原告は以前に被告から医師の診察を受けさせられた際、結果について何の連絡も説明もなかったことを受診拒否の理由として挙げるが、被告の右対応につき非難の余地があるかどうかは別として、そのことと今回の受診要求とは別問題である。さらに、原告は、受診の必要性と診察の内容について被告及び当該医師から納得するに足りる説明を得られなかったと主張するが、前記1(八)で認定したところによれば、被告及び被告の指定した医師は原告の要求に応じて相応の説明はしているのであって、右説明に原告が納得しないからといって受診を拒絶することが許されるとはいえない。

そうすると、原告の復職の主張は、理由がない。

3  病気休職及び解雇の無効の主張について

原告は、原告の疾病を業務外とする認定について、被告が医師の意見を徴する等の調査をしていないことを主張するが、仮に右認定の際にそのような手続を要するとしても、原告の頸腕症が業務に起因するものと認められないことは前記説示のとおりであるから、右手続をとらなかったことが、本件休職及び解雇の効力に影響を及ぼすとまで解することはできない。

さらに、原告は、本件休職の休職事由が不明確であり、休職期間も一定の期間を区切って定めるべきであるのに「原告の休職事由が消滅するまで」としたのは漠然としていて許されないと主張するが、原告の休職事由が原告の頸腕症等の疾病であることは明らかであり、休職期間の定めについても、一定期間を区切らなければならないとする根拠はなく、右のような定め方でも休職者が復職を希望するときには自ら被告に請求すれば足りることであるから、不都合があるとは解されない。したがって、この点も本件休職及び解雇の効力に影響を及ぼさないと解すべきである。

また、原告は、本件休職の通知が原告に到達していないと主張し、確かに原告に対し本件休職の通知が到達したことを認めるに足りる証拠はないが、服務規定二三条一項は「病気休暇の期間を経過してもその故障が消滅しないときは病気休職となる。」としており、その明文上病気休暇から病気休職への移行については特段の意思表示を要しないものと解されるから、通知の有無は病気休職の効力に影響を及ぼさないというべきである。もっとも、細則十四1(1)は休職につき発令を要するとしているが、右に述べたところからすれば発令は既に病気休職の効力が発生した旨を伝達する意味を有するに過ぎず、右規定は発令の通知を効力発生要件としたものではないと解される。仮に右発令の通知がないことが手続上病気休職の効力に何らかの影響を及ぼす場合があるとしても、前記認定事実によれば、原告は同五一年八月一一日被告の地本の高城委員長から休職の辞令を出す旨を告げられており、同年八月以降基本給を減額されたことが、原告に交付された給与明細上明らかであり、同五二年一〇月の給料明細書には無給休職との記載があること等からみて、原告も休職発令後間もなく、その事実を知ったと推認でき、かかる事情のもとでは通知の不存在は本件休職の効力に影響を及ぼさないと解される。したがって、原告の右主張は失当である。

原告は、被告が原告の頸腕症の業務起因性を否定して休職扱いするのは犠牲者扶助規定を適用した事例と比較すると、不公平かつ恣意的な取扱いであると主張するが、〈証拠略〉によれば、犠牲者扶助制度は服務規程六三条において組合員が組合業務遂行のためにうけた弾圧及び災害に対処するため犠牲者扶助資金を積み立て、具体的支払は犠牲者扶助規程に基づいて行われていることが認められるのであって、右規程に基づく現実の運用上必ずしも厳密には業務起因性が認められるとはいい難い事例についても支払が行われているとしても、そのことと本件のように病気休職扱いとする場合とで取扱いが一致しなければならないと解すべき根拠はないから、原告の右主張は失当である。

原告は、被告が原告の復職申出に対し、当初軽減勤務の制度が存在することを当然の前提としながら、その後軽減勤務の存在を否定し完全に回復しなければ復職を認めないとし、受診要求の根拠規定が変化する等、被告の復職拒否の理由が変遷したことを解雇の無効事由の一つとする。しかし、前記認定事実によれば、受診要求の根拠規定の説明が当初行われず、その後の根拠規定の説明も変化したことはあるが、被告は、原告に対し就労可能な程度に回復したかどうかを確かめるために医師の受診を求める旨一貫して原告に説明しており、軽減勤務の存在を否定したこと及び完全に回復しなければ復職させないと述べたことを認めるに足りる証拠はない。もっとも、〈証拠略〉によれば、被告は本件訴訟について報告した支部大会経過報告書において、原告がリハビリ的軽減勤務を申し出たが、組合側はそうした制度のないこと及び過去の経緯から治癒の証明がなければ就労を不適とみなし引き続き療養を指示した旨の記載をしているが、前記事実経過に照らせば、右文書にいう「治癒」とは、被告が原告に説明したとおり、就労可能な程度に回復したことを言うのであって、完全に回復したことをさすのではないと解される。したがって、被告において、原告に対する説明が必ずしも十分とはいえなかったきらいはあるが、被告の復職拒否の理由が変遷したとまでいうことはできず、原告の右主張は失当である。

次に、原告は、本件協約が休職の発令及び復職の両者について健康管理医の認定を要求しているのに、被告は復職の場合にのみその手続を要求し、原告が右協約に定められているとおり診断書を提出しても受取りを拒んだことを非難するが、前記認定の復職に関する交渉の経過に照らせば、原告主張の事実は解雇の効力を左右するものではないというべきである。

原告は、休職事由消滅の判断を健康管理医が行うとしても、前記協約六条四項は右判断を医師の診断書に基づき行う旨規定しているから、被告は、原告が提出した診断書を健康管理医に提示して意見を求めなければならないのに、右意見聴取を昭和五三年に至るまで行っていないと主張する。前記認定事実によれば、被告が原告提出の診断書を健康管理医である酒井医師及び浦本医師に見せて意見を聴取したのは、確かに昭和五三年に入ってからであるが、被告は、原告が従前、頸腕症により病気休暇を繰り返していたため、再度そのようなことが繰り返されるおそれがあるとの判断から、復職交渉の当初の段階から原告に対し受診を要求していたのであるから、原告が右意見聴取手続を当初行っていなかったからといって、本件解雇の効力には影響しないと解すべきである。

原告は、本件解雇につき、服務規程の定める当該執行委員会の発議及び中央委員会の議決の手続を履践していない瑕疵があると主張し、原告の解雇の決定に関する被告内部の手続の具体的経過を示す証拠はない。しかし、〈証拠略〉によれば、被告の中央執行委員会が原告の解雇を決定したことが認められ、右事実によれば、同委員会の議決の存在を推認することができ、港支部執行委員会の発議の点についても、前記認定の事実経過によれば、港支部から被告の中央執行委員会に本件についての連絡、協議がされていることを推認することができるから、仮に正式な発議という形式がとられていなくとも、それは本件解雇を不当とする瑕疵ではないと解される。

さらに、原告は、服務規程及び細則が就業規則の性質を有するところ、被告は右各規定の作成に当たって労働基準法九〇条一項に定める意見の聴取及び同法八九条一項に定める行政官庁への届出手続を怠ったから、右各規定は無効であると主張するが、仮に被告において右手続を怠った事実があったとしても、そのことは右各規定の効力には影響を及ぼさないと解すべきであるから、右主張も失当である。

そうすると、病気休職及び解雇が無効である旨の原告の主張は理由がない。

第五結論

以上によれば、本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官相良朋紀 裁判官長谷川誠 裁判官阿部正幸)

別紙〈省略〉

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